揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

死にたくねえな

 

 

 

最近物事がうまくまとめられなくて文章が書けなかった。

お金の管理もあまりできていない。

何事も物事が考えられなくて、ついに病院に提出する最近の出来事をまとめた用紙すら作れなくなり、さすがにおかしいと思い主治医に「最近なんか物事が考えられないしまとめられなくて…」と訴えたところ、「このまま拒食症になる人多いよ」とのお答えをもらった。

体が冷えやすく若干生理不順なので、多分このままだと拒食症になるんだろうなと思う。

痩せ願望、怖い。

私は特に典型的な拒食症になる人の性格をしているから気をつけて生きてきたけど、いざ目の前に拒食症がやってきてもなんとも思えない。

ご飯を食べなければならないとは思うけど、今だって別に吐いたり食べなかったりしているわけではないし、普通に食べてるし。

ただものすごく痩せたいという気持ちが強くて、思った以上に痩せている自分にしがみついている。

今までなんの取り柄もなかった私が、痩せたことで、痩せているという取り柄を得たような気持ち。

このまま進行すると拒食症になってしまうよと言われても太らなければとは思えないし、なんならこのまま痩せていたいくらいだ。

 

ここ2、3ヶ月くらい納得いく文章が書けなくて、うまく物事をまとめられなくて辛かったけど、痩せ過ぎが原因ならとりあえず体重を増やそうかと思う。

思うだけなんだけども。

病気を完璧に治すことは不可能で、共存していくことしかできないらしくて、完璧主義の私にはとても歯痒い。

だから完璧なんかないって何度も何度も自分に言い聞かせてるんだけど、幼少期から完璧にできなければいけない子育てを受けてきた私には暖簾に腕押し、焼け石に水のようなものでしかない。

 

結局、完璧でないと愛されないのだと思う。

自分からも他人からも、ある程度のラインまで普通にできなければ愛されない。

親からもそうだった。

愛はこの世にあるようでない。

それを体感してきた三十年だったように思う。

 

無価値感、無気力感が大きい。

一歩間違えたら私も誰かを殺してしまうかもしれないと思うことがある。

無敵の人の気持ちがわかってしまう。

青葉容疑者が医療スタッフに「こんなに優しくしてもらったのは生まれて初めてだ」と言っていたのをニュースで知ったけど、かわいそうな人だったと思う気持ちもある反面、私もよく考えたらお金払った相手にしか優しくされないなと感じる。美容師とか医者とか。

なんとなく、残虐な事件の犯人の気持ちが分かってしまう。

だからそうならないように、人様に迷惑をかけないようにと気をつける。

行き着く先は自殺しかなくて、前に進んでも後ろに下がっても今はダメ。

立ち止まって、たくさんご飯を食べて。

まずは体重を増やすところから始めるのが一番いいんだと思う。

 

胸もお尻もなくなっていいから痩せたい、けど拒食症になったとして闘病生活に耐えられるとは思えない。

だから仕方がない。食べるしかない。

3キロ増えてもまだ足りないくらいだし、好きなものを好きなように食べて生活してもいいんじゃないかと思う。

今は1時間の外出でも著しく体調を崩すし、QOLが下がりまくり。

生活の質なんて考えたことがなかったけど、今の私は考えざるを得ないし、考えたい。

1日1日を楽しく穏やかに、量よりも質のことを考えたいのだ。

 

結局、こうなるべくしてなったのだと感じる。

今までの生き方があまりよくなかったから、今立て直しが効くときにつまずいて、生き方の立て直しをしましょうね、ということだろう。

見方によってはとてもいい機会だと思う。

一日三食食べるとか、夜は眠るとか、当たり前の日常生活を身につけられるようになりたい。

まだ三十歳。

平均寿命はどんどん伸びているし、今立て直しをするチャンスが来てよかった気もする。

間違えたまま還暦を迎える方が余程怖い。

今の今、まだ修正が効くときにつまずいてよかった。

今の時代は五十歳で人生折り返し地点で、どうしても人間が長持ちしてしまう時代だから、体を大事に生きていこうね。

 

まだいろんなことが遅すぎることはないと思う。

何かきっかけがあって愛を発見しても、全然遅くなんかない。

手遅れでもなんでもない。

ただ、私にはもう愛を探しにいく気力も体力も残っていない。

2歳の頃から「生まれてこなければよかった」と思って生きてきたから、もう恋愛に割く余力が残っていないほど疲れ果てている。

少し休まないと、体重を増やさないとマトモなものは得られないと思う。

昔の恋人と別れたのも、私がセックスをさせてあげられないからだった。

もう私にはそこまでの気力がない。

疲れ果てている。

 

自分1人で楽しむ趣味に関しては充実させてもらっている。

とても楽しく過ごしているし、疲れていてもなんとか時間を割いたりできる。

これは対人関係が絡まないから時間を割けるんだと思う。

人と一緒にやる趣味なんかはどうしても疲れ果ててしまって続かなかった。

1人でも充分楽しいならそれはそれでいいかなと感じる。

特に私は対人関係がものすごく負担になるから、1人で楽しいならそれはそれでいいんだと思う。

 

とにかくご飯をしっかり食べて生活しようと思う。

昔はずっと死にたかったけど、今はなんとなく「死にたくねえな」と思う。

病気は快方に向かっているんだと思う。

これでいいのだ。

 

 

 

 

 

 

💮

 

 

気温の変化で体調を崩すことが今週に入ってピタッと止まった。

それはそれでなんか怖い気もするけど。

急に不調から快調に変わると、躁転したのかと不安になる。

実際の躁転というのはこんなもんじゃないことは分かっていながらいちいち不安になるのは、私が精神疾患のデパートみたいな人間だからだと思う。常に怖いんだよ。

 

スーパーにも行けないほど気持ちが落ち込んでいたけどスーパーに行った。

美容欲も戻ってきて2日連続で髪のトリートメントをやった。

新しい化粧水を書い、クリームを買い、あれこれ試してみたりしている。

仕事こそしていないものの、ようやく人間として生活ができ始めたように思う。

自分に手間をかけること、肌に合う化粧品を使うこと、栄養バランスの取れた食事を作って食べること、寒かったらカイロやあったかインナーを身につけること、他にもいろいろあるけど、これらをひとつひとつ丁寧にやってみて、今まで私は私をおざなりにして生きてきたことを痛感している。

そりゃ恋愛もできないわけだ。

自分の生活もままならないのに他人との生活なんてとてもじゃないけれど考えられない。

これからも余程の余裕が出ない限り恋愛をすることはないと思うけど、もうそれは仕方がないなあという諦めの気持ちがある。

私は私の生活だけで手一杯だ。

手一杯というか、まだ全然足りていないし。

 

今までなんとなく「それどころじゃない」という感じで恋愛をしてこなかったけど、自分に手間をかけることを覚え始めた今、ようやくその「それどころじゃない」という気持ちがどういうものなのか具体的に分かり始めている。

なにかのコラムで「明日食う米がないのに彼氏作ろうとは思わない」という文章を読んだけど、まさにこれだと感じる。

私は今まで、「明日食う米がない」という状態だった。

1日1日過ごすことに必死で、とりあえず化粧水をつけとりあえず化粧をしとりあえず服を着ていた。

服はあるけどおしゃれ着はないし、コスメはあるけど全部肌に合っていなかった。

確かにそれどころじゃない。

でもそれは、私が悪いとかそういうわけではないと思う。

たまたまそういう病気になってしまっただけで、誰が悪いとかでもないと思っている。

これもまた人生。

私の人生をどうにかできるのは私だけだ。

今まで最善を尽くしてきて、今ようやく求めていたものが手に入り始めた。

それのなにを事情も知らない他人から責められなければならないのだろうか。

 

普通に生きるということがどういうものか、早々にレールから外れた私には分からないけど、おそらく素晴らしいものなのでしょう。

その気持ちもわかる、わかるけど、私にはどうやっても無理だという気持ちが大きい。

障害者になってしまったし、もう余力が残されていない。

今まで必死で生きてきて、もうすぐ三十路を迎えるけど、私はこれからの人生のことを余生だと思っている。

ゆるゆると国の制度を使いながら生きていくことしかできない。

働けば自殺をし、働かなければそこそこ平穏に生きていける、これを余生と呼ばずになんと呼ぶのだろうか。

ときどき、「この人生で普通を求められることは多々あったけど私が普通にできたことはなかった」と感じる。

周りからの期待値が大きすぎる。

余生ではそういう人からの言葉は右から左へ受け流していこうと思う。

聞くだけ無駄なことがよくわかった。

 

自分に手間をかけることを始めて、ようやく人間としてのスタートラインに立てたような気持ちでいる。

自分に優しくしてあげること。

そうしたら自然と人にも優しくなれた。

私に足りていなかったのは恋愛ではなく、自分で自分を大切にすることだった。

正直、周りの人に流されて好きでもない人と付き合ったりしなくてよかったと思う。

私の療養生活の舵を、私は自分で切ってきたのだ。

これで愚痴も不満も言わず他責もせず、胸を張っていられる。

生きるってこういうことなんだなあと思いながら、その複雑さや難しさに立ち向かう自分をちょっとだけ誇らしく思う。

誰かになんとかしてもらう手もあったけど、そうしなかったもんね。

自分でなんとかしたかったからなんとかしたんだ。えらい。

 

最近、嵐が終わるのかというほどに生活と心が穏やかで、ブログに書く不満や愚痴、悩み事がない。

文章を書くのもなんだか億劫だ。

もしかしたら、溜め込んでいるものがなくなったのかもしれない。

まだまだ療養生活は続くし、働ける見込みもないけど、私は幸せだし、穏やかだし、体が動かないこと以外はまあなんとかやりくりできている。

家族には迷惑をかけているけど、噴出してくるような不満はないし、多分これが今の一番ベストな状態だと思う。

療養よくできましたの花丸。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拒食は簡易地獄

 

 

冬に頑張って体重を増やしたり散歩をたくさんして筋肉を少しずつつけていたんだけども、夏の間暑すぎてなかなか外出ができなくて家にいたらあっという間に筋肉が落ちた。

暑くて食欲がなくて食べられなかったから体重も減ってしまった。

鬱になって痩せる前、平均体重くらいだった時はこんなことはなかった。

記憶力の低下があるのでお医者さんから「体重を増やしましょう」と言われた。

私は悪くない、完全に今の狂いに狂った日本の気候と鬱になるような前の職場が悪いのだけど、肉体を壊されると回復する道のりが長いなと感じる。

 

いろいろと考えて、思うことはあるけど、今の私に一番必要なのは体重だと思う。

平均体重とまではいかなくてもBMI19くらいまでは増やしたいと思う。

増やしたところでまた酷暑がきてしまったら同じことの繰り返しなのですが…。。

 

最近、健康的に太る方法が知りたいと思っている。

一番いいのはお米を食べることらしいので、とりあえずお米をきちんと食べようと思う。

なんか最近また低血糖のような症状が出てきてしまってさすがによくないなと感じる。

30代になったら代謝が落ちて自然と太るから問題ないと思ってたけど今この瞬間を生きるための記憶力低下とかは洒落にならない。

 

ご飯を食べよう🍚

 

体質で痩せてる人以外は痩せを目指さないほうがいい、これは絶対。

私は2年前の、痩せに対する認識が甘すぎた自分を引っ叩きに行きたい。

そんな仕事早くばっくれないと死ぬぞ、と声をかけに行きたい。

体が壊れてからでは遅いのだということを今になって痛感している。全てが遅すぎる。

 

痩せても痩せなくてもどっちでもいいと思う、心底思う、例えば好きなアイドルやミュージシャンが太っても私はそれだけで嫌いにならない、絶対ならないけど自分だけは対象外だ。

痩せてないといけない、もっと痩せないといけない、ずっと2年間そういうものに囚われ続けていて、それは簡素な地獄のようだ。

抜け出すために何が必要なのかもわからない、そもそも抜け出すものなのか、それすらもわからない。

痩せていることで被っているデメリットよりも痩せていることの快感の方がずっと大きい。

こんなに大きな快感を手放すことの意味がわからない。

自分では太っていると思う、心底思う。

でも、体重を増やしましょうね、と言われる。

どう舵を切ったらこの簡素な地獄から出られるのか分からないでいる。

 

痩せてるだけで価値があるなんてことはないのにずっと囚われている。

おいしいものを食べるようにしてみたりしようかな。

タバコをやめていなかったら、今も月に15000円くらいは湯水のように使ってたわけだし、それを考えたらちょっとだけおいしいものにお金を使ってもいいんじゃないだろうか。

そういうことをよく考える。

よく考えるけど実行に移せない。

これ以上太るのは無理。

痩せたい。

 

特に外側から異常が見えないのに、自分に対する嫌悪感や、痩せていないと愛されないという強迫観念のようなものにずっと追い詰められている。

人からは痩せたことを口々に褒められる。

これを簡素な地獄と言わずになんと言うのだろうか。

私は、こんなにも入りやすく出口が見えない地獄は見たことがない。

 

まさかこんな地獄に迷い込むとは思わなかった。

ゆるゆると苦しめられ続けている。

死ぬことはあまり考えなくなったけど、次はどうなるんだろうか。

ご飯が食べられるようになったらいいな🍙

 

 

 

 

 

 

 

 

埋まらなかったもの

 

 

 

 

長いことなにか目に見えないものに苦しめられてきた。

それがなんなのかは分からない。

ただ、ずっと心のどこかに穴が開いて、風が吹いて痛い。

穴が開いているなら埋めればいいと思い、私は買い物をしたり旅に出たり友達と遊んだりした。

お金を使っても埋まらない。

人と会っても埋まらない。

穴は日に日に大きくなるような気がした。

 

2年前、仕事で無理をしすぎて抑うつ状態になり、休職したのち退職した。

そこから人生の方向をガラッと変えたように思う。

心の穴を埋める作業ではなく、自分の日々の生活に目を向けた。

日々の生活はとてもひどいものだったし、私自身の身なりや服装もひどく汚らしいものだった。

抑うつで体が動かなくなったのを機に、外に出ることや人に会うことをやめた。

まず自分の生活を満たして、それから外部に目を向けようと思った。

今は、旅に出たり友達を作っても埋まらなかった心の穴が、嘘みたいに少しずつ小さくなっているのを感じている。

穴を埋めようとしない、満たそうとするとはこのことか、と体感している。

 

私に必要だったのは、旅先で友達と合流して趣味を楽しむことや、買い物をすることではなく、日常の生活を満足いくものにすることだったのだ。

幸せの青い鳥は家の中にいた、というお話があるけれど、まさにそんな感じ。

10年近く悩んできたことがやっと今終わりを迎えようとしている。

派手に転んでみるものだな。

 

抑うつになったことで最初は自分や家族、関わってくれた他人のことも責めてしまっていた。

特に自分に対する当たりは酷く、毎日死ぬことを考えたし、未だに生まれてこなければよかったと不意にこぼれてくることもある。

それでも、私は今の自分を見ていると「このタイミングで抑うつになってよかったかもしれない」と思う。

あのまま他人や会社、趣味の世界やお金で解決することに救いを求め続けることは、一歩間違えれば破滅につながっていただろう。

最初のボタンの掛け違えから次々とうまくいかないことが起こることがあるけど、そもそも一番最初の出発点から間違えていた「自分の人生のボタンの掛け違え」に気付けたのは、体が動かなくなってからだった。

体が動かないから身の回りのことだけやるとか、旅に出るのを諦めるとか、お金を貯めるとか、自炊をするとか、自分に合った身だしなみを身につけるとか、そういう日常を潤していったら心に開いていた大きな穴は少しずつ塞がり始めたし、自分も他人も過度に責めることはなくなった。

他人に対しても自分に対しても「こんなもんでいいか」と妥協ができるようになったし、破滅していく人と仲良くなった時に必ず嫌になって離れていたのに「近くにいながらただ見守る」という選択肢ができた。

今の私には手の届かないキラキラした世界ではなくて、自分の手の届く範囲のことをしっかりやることがお似合いだ。

ずっと手に入れたかったものがなんなのかは分からないままたくさん旅行に行ったり買い物をしたけど、私が本当に手に入れたかったものはありふれた日常だったのだ。

朝起きて夜寝る。

スキンケアをする。

自炊をする。

散歩をしたり、季節ごとに変わる木々や花を見る。

何もできない無力な自分を受け入れる。

 

先日、二十歳の時の振袖の写真を見たのだけど、今とはまるで顔つきが違う自分がいて驚いた。

とてもきつい顔つきをしていた。

今はそんなことはない。

これでよかったと心から思う。

 

今はもう、人と比べることも、何かや誰かを悪くいうことも、自分を卑下することも、心に開いた穴を埋めようとすることもない。

酒もタバコもやらない。カフェインもやらない。

二十歳の時の私が思っていたつまらない女になった三十路間近の私は、二十歳の私よりずっと綺麗だし、なにより心が穏やかだ。

もうこれ以上望むこともない(けど体を壊さない程度の仕事は欲しい)。

高望みをしなくなったこと、理想と現実のギャップを埋めようとしなくなったことで、精神的には随分と落ち着いた。

誰かより上でなくてもいい、むしろ下でもいい。

生きてるだけで意外と面白いことがある。

足元にある幸せや、今手の中にある幸せに気づいてよかったと思う。

探していたものはここにあったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

酒を飲まない

 

 

 

お酒が飲めなくなってからは主にノンカフェインのお茶を飲んでいる。

カフェイン過敏も併発したのでお酒もカフェインも断った。

最初は、烏龍茶も緑茶も飲めなくなって「つまらねえ…」と項垂れていたけれど、ノンカフェインのお茶を飲むことも意外と面白い。

今飲んでいるのはルイボスティー杜仲茶

もう5年くらいルイボスティーを飲んでいて、最近杜仲茶を買って飲んでみた。

日々死にたいだの生きたくないだのと言うわりに健康意識が高い。

高くしたくないけど高くなってしまっている。

もう体が無理を受け入れてくれない。

酒もタバコもカフェインも、もう私の体に入っても異常反応を起こすだけで、それは楽しくもなんともなくただただ苦しくてつらい。

体に合わないものを避けて生きているだけで無駄に健康意識が高くなってしまうのは、死にたいと思い続ける自分の心に反している。

このままだと確実に健康に長生きをしてしまう。

だけどもう無理をする気力もないし、体が壊れて動かなくなって病院のベッドで過ごすようになったらそれこそ取り返しがつかない。

周りの人も、介護だのなんだのとなったら迷惑極まりないだろう。

 

死にたいと思いながら杜仲茶を飲む。

杜仲茶は昔健康茶として大流行したこともある体にいいお茶。

これでは死ねない。

杜仲茶なんか飲んでたら死ねないのに死にたいと思う。

自分の意に反して体が健康に生きようとする。

 

杜仲茶は私好みの味で、若干苦味がある。

私は煮出しすぎて苦味が出たような味のお茶が好きで、家でお茶を作る時も苦味が出るとうまくいったと感じる。

おいしいから飲む、飲んだら健やかに生きる。

最近、「死にたいのは治らないだろうけどもう死ぬことに執着するのを諦めようか」と思っている。

「人は意外と野垂死ねない」とマツコデラックスが言っていたけど、ほんとうにそうだ。

現代医学は発達しているし、蘇生技術みたいなものも日々進歩しているのだろう。

運なのかなんなのかは分からないけど、私は死なない。

無駄に死ねないように作ってあるし、体が壊れる手前でエラーを出してくれる。

完全に壊れることも壊すこともできない。

追い詰められたら自殺はする、それも性格だから仕方がないと思う。

でも日常は至って普通で、不幸でもなんでもなく普通に幸せな生活をさせてもらっていて、杜仲茶を沸かして飲んで。

そういうふうにしか生きられないのだと思う。

 

もう余程のことがない限り自殺をすることはない。

歳とともに若さ故の勢いみたいなものが衰えて、破滅したいとか、自分のことが嫌いで憎いとか、終わりのない恨み辛みや憎悪とか、自己嫌悪とか、自分の心の周りを呪いの儀式のようにぐるぐる回って呪文を唱えていたものたちにも疲れが見えてきている。

他人の許せないところとか、自分の許せないところ、なんとなく悪口を言うことも誰かや自分を卑下することにも疲れてきた。

どういう人間であっても、本人がそれを望んでいるならそれが真実だし、どんなに正しいことでも本人が嫌がるならそれはその人にとって正しいことではない。

未来は決まってないし逃げられない過去はいつでもついてくるけど、目の前に楽しいことがあったらそれにつられて自分も楽しくなることは悪いことではなくて、それを機に自分の問題に目を向けることもある。

 

 

私は幼い頃から、感受性みたいなものが人より強かったのかもしれない。

2歳になって両親と離れて暮らしたのを機に「生まれてこなければよかった」「私はいらない子なんだ」「頑張らないと愛されない」「いい子にしていないといけない」と思い込んで、出来る限りの無理をした。

出来る限りの無理がたたって障害を負ってしまって、普通に生きること、暮らすことはできなくなってしまった。

それでもまだ無理を重ねた。

若さゆえに考えすぎてしまうこと、無駄にパワーがあることも一因となった。

いろいろあってここまで生き延びて、立ち止まってみた時に「そんなに悪くない」ということに気がついた。

今の自分も、生活も、環境も。

全てが自分が思っているよりもずっと状態がいい。

なんの不満も出てこない。

 

毎日たらふくお寿司が食べられるわけでもなければ宝くじが当たったわけでもないけど、私にしては上出来な状態を作れたと思う。

何事も悪くない。

悪くないというか、良いことの方が多いかもしれない。

過去の自分に花束を供えて、次の目標を見つけてもいいのかもしれないと思えた。

 

今の自分が出来上がるために過去も必要だったかと言われたら全くその通りで、過去がなかったら今の「そんなに悪くない自分」はいなかっただろう。

無駄なことはなにひとつなかったように思うし、これはこれでよかったと思う。

穴ぼこだらけの壁はアーティスティックで、それはそれで素敵だと思う。

ただの白い壁にはない魅力がある。

 

存在自体を許されなかったように感じた昔の自分にお供えするための創作活動をやろうと思っている。

自己満足にしかならないけど、大丈夫だということを昔の自分に伝えたい。

ここで一旦死にたい私はおしまい。

明日からはまたなにか、死にたくない私の物語の始まりにして、どうにか自殺だけは避けて、未完成でも足りなくてもいいから生きてほしいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

禁ラーメン

 

 

 

つらい。

 

 

追記

 

私はラーメンを食べると蕁麻疹が出るのでラーメンが食べられないのだけど、つらい。

寿命を削ってもいいからラーメン食べたい。

禁ラーメン2年目です。

禁煙なんかよりよっぽど大変で、タバコなんかよりよっぽど依存性が高いと感じるのがラーメンです。

ラーメンを食べることは愚行権でもなんでもなく娯楽としての食事ですが、酒タバコをはじめ様々な愚行権を使えなくなった上、ラーメンまで禁じられた私には、ラーメン(野菜も入っていない糖と脂肪の塊、カロリー鬼高、塩分)ですら愚行権に感じられてしまうほど魅力的。

禁煙なんかよりよっぽどキツい。

ラーメン食べたい。

体壊したくない、ラーメン食べたい、どうなる、どうする。。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜から朝へ

 

 

 

 

去年の10月頃から生活リズムを整えているのだけど、最近はもう夜10時半か11時には眠たくてたまらなくなってしまうようになってきた。

これだともう余程思い入れのある人でないとライブハウスなんかには行けないと思う。

私がこれからもライブに通うであろうミュージシャンの方々はあまり昼間にライブをやらないので、どうしてもツアーなんかに行こうとすると夜起きていないといけない。

ライブに行けるかどうかが重要なのだけど、これまで通えるだけ通ったのでまあまあいいか、という気持ちもある。

遠征なんて今はとても考えられないし、夜のトーキョーやオオサカを1人でうろつくなんてことも到底無理だろう。

ヨナゴだとしても無理。ヨナゴは何にもないとこだけど。無理。

こうなると活動時間帯が一気に引き上げられたような気持ちになる。

でもまあ、朝型に変えたって言っても朝7時にきっちり起きられるわけでもなく、普通に朝は体調悪くてウゴウゴしてるので、もう1年くらいこの生活を続けてみて様子を見るしかないと思っている。

遊びに出ないのは行動範囲が狭まるような気がして嫌だけど、遊ばないなら貯金すればいいし。

私の担当美容師さんが「僕夜起きてられないんですよね〜、10時くらいになったら眠くなっちゃうんです。そのかわり朝何時でも早起きできます」と言っていて、当時の私はそれを異世界の出来事のように感じていたのだけど、まさか自分がそっち側に足を踏み入れるとは。。

美容師さんみたいに早起きができるわけではないけど。

夜起きていられないならそれなりに楽しいこととかあるんだろう。たぶん。

まあもう、なるようにしかならないし、前の職場を辞めたときに「ここを辞めるなら、辞めてよかったと思えるように舵を切りたい」と強く思ったからひたすら頑張ってるんだけども。

ずっと夜中に起きてる人間だったから、朝型人間なんて想像もつかないし、正直どうしたらいいのかわからない部分もあるけど、あのまま夜型人間でいるわけにもいかなかったからちょっとやってみようと思います。

もうすぐ三十路になりますが、まだやり直しがきくっぽくてラッキーだと思う。

人生どこからでもやり直せるとは思うけども。

 

夜型人間歴が10年ほどあって、朝型人間に変わったわけですが、いろんな変化がありました。

肌が綺麗になったり、やけに前向きになったり、夜に外出しなくなったり。

肌は本当に綺麗になりましたね。生活習慣整えるのが一番のサプリメントだなと思いました。

スキンケア用品を変えたことも影響があると思うけど、肌に関してはここ2、3年で本当に綺麗になったと思う。

画像で比較したかったけど、カメラロールに残ってる画像がiPhone6の画像しかなくて画質が汚すぎて比較ができなかったです。

でもまあ、2、3年でかなり見た目は変わったんじゃないだろうか。

すごいな…。。

私はどうにもならないと思ってたけど変わるもんだなと感じます。

化粧のやり方も変えたし、化粧品も変えたし。

過労痩せもしたのでダイエットしたのと同じです。(同じではない)

見た感じがかなり変わったとは思う。

生活リズムを整えてみたのは正解だった。

今のところは前の会社を辞めてよかったと思う。

 

見た目が変わると中身が変わる、というわけではないけど、なんとなく思考が変わってあれこれ服を買わなくなった。

サイズの合った、着回しのきくものを数着持つようになった。

これは鬱病が再発した時に決めたルールで、どうしてもコーディネートを考える余裕がないからパッとタンスから取ってきた服を着ても大丈夫なようにしたかったから。

当たり前だけど、服の種類が減るだけで出費が抑えられるしごちゃごちゃいろんなものを買わずに済むし、経済的だなあと思いました。

同じパターンの服しか持ってない状態にはなったけどもう服のことまで考えるのは無理なのでそれでいいです。

痩せてから身体が冷えやすくなったのでスカートも履かなくなったけど仕方ないかなと思います。

スカート持ってないのでいつかどこかでサイズが合ういい感じのやつを手に入れたいです。

まあ、おしゃれどころじゃないので当分買いませんけども。

 

自分ではそんなに痩せているつもりはないし、実際芸能人の155cm37kgとかには程遠いのだけど、過労痩せした時に手首から指、足の甲まで肉がなくなってしまったのを見たら「あ、私細いんだな」と自覚ができた。

そこまでならないと自分の体型を自覚できないのは脳の歪みのようなものだと思うけど、手首が人差し指と親指で作った輪っかの大きさぴったりになったのでさすがに観念した。

精神科でも採血の時に医者が引いていた。

だからなんだというわけでもないんだけど、夜起きてるの向いてないとか、自分の体の大きさとか、もっと自分のことに目を向けたいと思う。

人間生活が足りていない。

普通ならわかること、自分の服のサイズとか、自分に合う靴とか、私はそういうものが一切わからない。

わからないからとりあえず着れそうなちぐはぐなものを買ってしまっていた。

病人として生きてきた時間が長すぎて、自分の人間としての人生が貧相で悲しくなってくる。

家族には迷惑をかけてしまうけど、少しだけ時間がほしい。

みんなが十代の時に一通りやってきた美容や服、健康に関することを私は一通りやっていない。

それを今からやって、すこしでも「人間の生活」とか「人間としての基礎」みたいなものを知りたいし、身につけたいと思う。

 

ここからどうなるのかはわからないけど、ここまで来たわけだからやり切りたい。

そのうち生活と仕事を両立できるようになってみたいと思う。

今までは生活をおろそかにして働き、過労自殺を起こしてきた。

今度はそんなことがないようにしたいと強く思う。

生活は大事だ。

夜寝て朝起きる。

部屋を片付ける。

食事を摂る。

こういうことがおろそかにならないように、人生の舵をとっていきたい。