揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

一緒に不幸になろうねという約束

 

 

 

 

私は「毎週土曜日あなたとランチしたい」とか「50、60になっても独り身だったら一緒に暮らそう」とか言われるタイプです。

さほど寄り添っているわけでもない相手から言われることが多いです。

なので多分、「一緒に不幸になってくれそう」なんだと思います。

 

「切磋琢磨しながら努力もしてお互い幸せになろうね!」という協定は結ぶけど、「努力とかやめてずっと一緒に不幸でいようね」という協定は結びません。

そんなの当たり前なんですけどね。

 

 

そもそも努力をやめるというのが私は個人的にすごくいやで、人ってなにかしら努力を続けないとだるんだるんになって1人で生きていけなくなると思ってるんです。

その努力が毎日積み重なって、やることやってたらそれなりの場所に行けるんじゃないかな、と。

ずっと努力しないで生きてるとハリがなくなるし、だるんだるんの毎日になってしまうとそれはそれでしんどくないですか。

努力しなくても幸せになれたらそれはいいけど、そうなっても私は個人的に努力をやめたくないなと思います。

なんとなくですけど、生活にハリがあるのがいいなって思うんですよね。

努力やめたらほんとにハリがなくなるから、それはそれでしんどくなってしまう。

風船に空気を入れすぎるのもダメだけど、適度に入ってないとしぼんじゃうよねという感じ。

 

 

こうやって努力を続けてると、たまに努力したくない人が近づいてきて「いいな〜幸せそう」とか言い出します。

私が努力で幸せになるのが気にくわない彼ら彼女らは、引きずり下ろすために「自分と同じくらいの不幸度合いになってもらおう」とあらゆる手を尽くします。

自らの不幸な生い立ちを話し、いかに自分が不幸な人間であるかをひとしきり語ったあとに「毎週土曜日あなたとランチしたい」と言ったり「50.60まで独り身だったら一緒に暮らそう」と言ってみたりします。

 

私が相手に優しすぎることもよくないのだと思いますが、優しくされたらもっと欲しい、が彼ら彼女らの全てです。

カラカラに干からびた彼ら彼女らは私が注ぐ水を求めて、食事を奢ろうとします。突然お菓子をプレゼントします。

何か特別な対価を支払うことでもっと一緒にいようとします。

現金を支払う輩もいました。今思えば相当愛に飢えた人間だったのでしょう。コワイコワイ。

 

彼ら彼女らに共通するのは、特別な対価を支払おうとするけれども、「ありがとう」とは言わないことです。ごめんなさいも言いません。

優しくしてもらうために何かを差し出し、優しくしてもらったらお礼を言わずまた何かを差し出す。

優しさの売買ですよね。

 

彼ら彼女らはさみしいので、死ぬまで同じレベルでもがき苦しむ存在が欲しくて「一緒に不幸になろうね」という約束を持ちかけます。

しかしそこには巧妙な仕掛けがあり、彼ら彼女にとって私は見下し要員でないといけません。

絶対に、彼ら彼女らにとって格下の人間としてキープしておきたいのです。

同じレベルで、と書きましたが彼ら彼女らは私を「不幸な自分よりもなにもかもにおいてちょっとだけ下にいる不幸な人間」にしたいのです。

 

私は幸せになりたいし、今も充分幸せだと思っているので、そういう協定は結びません。という文章です。