揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

「興味がないです」

 

 

 

 

同性にも異性にも、友情でも恋愛でも感じることで、「私はこの人が思ってくれているほど、この人のことが好きではないな」という気持ちがある。

相手がとても懇意にしてくれても、私はさほど相手のことを思っていない。

薄情にも程があると自分でも思うのだけど、本心だから仕方がない。

相手のことをさほど好きではないな、と、なんとなく感じてしまう相手ほど私のことが好きである。

私がものすごく好きな相手はどうかというと、そもそも、ものすごく好きな相手がいないので、どうも言いようがない。

 

高校大学は苦登校だったから、周りにも学校にも思い入れがないし、同級生とは今は全く連絡を取っていない。

卒業や退学を機に連絡を絶った。

一度、高校の同級生と会ったことがあったけど、「深淵を覗いてはいけない」という気持ちになったので離れた。

私にとって「触れてはいけない過去」というか、「触れたくない過去」なんだと思う。

だから、さほど仲がいいと思っていなかった同級生から「お前と◯◯ちゃんと私でいつも一緒にいて楽しかった」と言われたときはものすごい衝撃だった。

◯◯ちゃんは私が学校に行きたくなくて休むと、必ず「来ないの?」という迷惑極まりないメールを送ってくる子だったし、私は◯◯ちゃんのことは苦手だと思っていた。

私は同級生に会いたくない日に学校を休んでいたので、心の底からそのメールが嫌だったことを覚えている。

思春期特有の連れション文化や団体行動にどっぷり浸かっていたけど、それは心からの仲間意識ではなく「学校にいる人だから合わせていた」というだけのものに過ぎなかった。

 

恋愛でもそういうことがあって、どんなに目の前で優しく微笑まれても、私のことを知ろうとしてもらっても、私はさほど相手のことが好きではなくて、興味もなくて、そういうことの積み重ねで「めんどくさいな」と感じてしまうようになった。

 

では私の興味はどこにあるのかというと、趣味と自分になる。

趣味や好きなものがものすごくたくさんあって、それらで満たされているので、はっきり言って人生に他人を介入させることが難しい。

友達付き合いでも、月に2回友達に会うだけで心身が消耗しきってしまう私には、ひとりで思い立った時にふらっと旅に出るのが向いていると思う。

自分の時間を作ることが最優先なのは、自分の時間がなくなると心身ともに弱ってしまい、今のように横たわって療養が必要になるからで、これに抗うと、待っているのはおそらく死だと思う。

 

 

私が好意を持っていなくても、ニコニコして優しく接していれば女性も男性も分別のつかない人は勘違いして、もっともっとという感じになってしまうのだけど、私はあくまでも「人として最低限の優しさを持った接し方」しかしていないので、どうしても相手のことを「接客業の店員に恋する客」みたいに感じてしまう。

実際に接客業をやっていた時も、「男性が店員に恋するってほんとにあるんだ…」と、驚いたり愕然としてしまったことがある。

もっとフランクに「店員の友達」みたいに接してくれたお客さんもいたし、その人たちのことはわりと好きだった。

下心がないあるって、透けて見えるものではないけど、向けられている本人は察知できると思う。

「店員の友達」として接してくれたお客さんが好きだったのは、ワイワイ買い物をして騒いで話して帰っていく、下心がない関係だったからだと思う。

そのお客さんはいわゆる「ウェイ系」に近い感じだったのだけど、私はそのお客さんの存在があるから今でも「ウェイ系だから◯◯だとか最初から人のことを決めつけない」という信念を持って生きている。

ウェイ系というか、謎にテンションが高くてニッカポッカを履いたようなニーチャンたちに対して「話してみるまでわからない」とずっと思っている。

 

余談だけど、オタクはわりとウェイ系やギャルに悪いイメージを持っていることが私個人の調査では多いのだけど、ひとをカテゴリーでくくってカテゴリー丸ごとに苦手意識を持つことは損だと思う。

すっぴんで眉毛の手入れもままならないような高校生だった私の愛読書はSEVENTEENか小悪魔アゲハだったのだけど、小悪魔アゲハはいい。

小悪魔アゲハ、ほんとにいい雑誌なので、生きづらさとか心の闇とかを抱えてる人は一回読んでみたらいいと思う。

様々なことを抱えながらもたくましく生きていく、そのために容姿や体型に気を使い、髪を染めて盛り、己の美しさで立ち向かっていく女性、最高。カッコいい〜。シビれる〜。

元々容姿がよくなくても、いくらでも変えられるし、コンプレックスは隠せる。

SEVENTEENは「かわいい通学ナチュラルメイク」が多かったけど、小悪魔アゲハは「自分が納得いく顔になるためのコンプレックス隠しまくりメイク」が多くて、肌にコンプレックスがあった私は「コンプレックスを隠せるんだ!早くお化粧したい!」と強く思ったことを覚えている。

今でもカテゴリーでひとくくりにして「合わない」という人を見ると「人によるからたくさん話してみればいいのに」と余計なお節介で思ってしまう。

 

話がずれてしまったけど、下心が透けて見えたり、よく知る前からものすごい熱量でぶつかってこられると、ちょっと困ってしまう。

私にそのつもりがないのに何度もぶつかってこられたりすると、ちょっと、どう接していいかわからなくなってしまう。

よく知らない人からの一方的な好意は怖い。

私の中身を知るために手を尽くされても、私は基本的に人に自分のことを知られたくない人だから迷惑でしかない。

世間一般では「なんでも話せる友達」がいいこととされているけど、私にはその感覚は合わない。

自分のことを話したくないのに「なんでも話さなければいけない友達」を作る意味がわからない。

そういう存在は結局私の負担になってしまう。

 

付かず離れず、深いことを根掘り葉掘り聞かないでそっとしておいてくれる人が一番ありがたい。

とにかく、私はそっとしておいてほしい。

なんでも話す友達を0にした今が一番心地いい。

なんでも話さなければいけないプレッシャーはものすごかった。

 

基本的に話したくない、そっとしておいてほしい人間にとっては、手厚い好意も親切もただの迷惑でしかなくなってしまうのは、相手に大変申し訳ないのだけど、私がそう感じてしまう人間だから仕方がない。

ひとりでいる時間が一番楽しいし、とにかくそっとしておいてほしいと最近はずっと思っている。

 

 

 

 

追記

 

私はこのブログの昔の記事でも書いたように「曲にされた女」なのですが(今では笑い話です)それももう、大変重苦しく感じました。

重い。そりゃその道の人の王道ファン食いパターンかもしれないけど、それにしても重い。

で、その人の歌を聴いてると結構重めの歌が多くて、なんかその感じに疲れたり飽きたりしちゃったんですよね。

こうやって人からの好意や親切をありがたく受け取れないのは気質や性格の問題だけど、せっかくお金を出して遊びに行った先でそんなめんどくさいことに巻き込まれても…みたいな気持ちはあります。

そもそも好意や親切自体、私がやってくださいと望んでいるわけじゃないので、受け取りたくないときは受け取らなくてもいいんだけど、男性も女性も受け取らないと怒るから怖いですよね。。

私は好意や親切がほしいと思って生きていないので、曲にされた時のように急にぶつけられると、すごく嫌な気持ちになります。

ありがた迷惑って言葉知ってる?と聞いてみたくなる。