揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

きのこのカレー

 

 

 

 

とある方の命日が今日だったので、その方が歌う歌を聴きながらきのこのカレーを作った。

 

昨年の今日の今頃の時間だっただろうか。

夕飯を食べ終えてこたつでゴロゴロしていたら、ツイッターのトレンドに急に彼の名前が入り、タップしてみたところ、彼の訃報が入ってきた。

私はその界隈に長くいたわけではなかったけど、二十代前半の頃のひどい鬱状態の時期に彼らのことを知った。

YouTubeで何度も何度もPVを見て、韓国の通販サイトを使ってCDを買った。

ひどい鬱状態はその後もずっと続いて大変だったけど、とりあえずその時は、彼らの歌を知ることができて、すがりつくものができた気持ちでいた。

そういう、自分がかなり死に近かった時期を支えて救ってくれた人でもあったので、彼の訃報にはショックを受けた。

 

昨年は私もちょっと危ういことがあり、なんだかんだですっ転んでしまったので、彼がうつ病で自殺を図ったことに対して、「わかるけど、死ななくてもいいじゃん…」というようなことを思ったのを覚えている。

その気持ちと並行して、「死ぬのが一番の救いだったんだろうな」とも思った。

こうなってしまったら本人には解決しようがないのが分かるので、誰も何も責められない優しい人だったんだろうなと思う。

 

 

今日はそういう日だったから、生きていることを豊かに感じたかった。

命を豊かに使いたかった。

だからきのこのカレーを作った。

チーズを山ほどかけて食べたけど、おいしかった。

悲しくなることは山ほどあるけど、私は救ってもらってなんとかなった人間として、できるだけ豊かに生きていきたいなと思う。

 

取り残された側としては、なんで、なんでなんだろうな、ということをぐるぐる考える時間がたまに訪れる。

たぶん、自分の命を終わらせてそれで「はいおしまい」っていう簡単な話じゃないんだろうなと思う。

けどまあ、終わらせないといけない強迫観念はこの病気になったらしょっちゅうやってくるし、それは自分の意思ではどうにもできない。

私も頭では分かっているけど、視野狭窄というのはものすごく怖い現象で、この世に救いなんかない、終わらせるしかないという気持ちで張り詰めた糸がぷつんと切れる。

 

 

 

私が消えたくて死にたくてもがいてたときにふっとやってきて救ってくれてありがとう。

おやすみなさい。

私はもう少しだけ頑張ってみます。

あなたに救われた人間として生きていきます。

私は何も生み出さないし作れないけど、豊かに命を使い切ることができたらそれでいいと思う。

 

 

 

こうやって肝に銘じてもまた追い詰められたらすってんころりんなのが、鬱病の怖いところだと思う。

逃げる方法なんか知らないけど、なんとか1日1日過ごして、気がついたら一年くらい経ってて。

たぶんそうやって生きていくことしかできないと思う。

いつまでこうやって命のありがたみや大切さを噛み締められるのかも分からない。

 

分からないことだらけだけどカレーはおいしかった。