揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

可愛いの呪い

 

 

 

 

お正月は親戚の家に行っていた。

毎年みんなで集まる。

昨年は鬱病真っ只中で行けなかったけど、今年は行った。

自宅に帰ってきてから体全体が痛くてとてもしんどくなったけど、行ってよかったと思っている。

 

 

久しぶりに他人からの「可愛いの呪い」に遭遇した。

芸能人の誰々に似ているね、とあからさまなお世辞を言われてしまったのだ。

私の顔立ちは確実に「可愛い」の部類で、「綺麗」とか「美人」とかそういう類ではない。

ちなみに日本人の「可愛い」は「大人の女性に幼児性が含まれている」ということが多いらしいので、私はあまり可愛いという言葉をよく思っていない。

人から容姿についてお言葉をいただくとき、だいたい苦し紛れの「可愛い」をいただくのだけど、もう正直そういうのは面倒になってきていて、容姿や体型について誰からも言及されない星に移住したいところである。

20歳の時は高校生に見られ、23、4歳の頃は未成年女子大生に見られ、26歳の時に学生さんですかと聞かれ、今もう20代が終わろうとしているのに実年齢を言うと「実年齢に見えない」と言われる。

全てお世辞だと思いたいけれど、23歳の頃は東京駅のキオスクでタバコを売ってもらえず、このタバコはメーカー欠品ですと嘘をつかれたり、免許証の提示を求められたので応じたら「これはほんとうにあなたの免許証ですか?」と聞かれるというキオスク濡れ衣事件が起こっている。

 

可愛いってなんなんだ。

そんなにいいものか。

実年齢に見えない「可愛い」は「可愛い」ではなく「幼い」ではないのか。

実年齢に見てもらえるのが一番いい、と私は思う。

私も実年齢に見える見た目を持っていたら、東京駅のキオスクを嫌いにならずに済んだのに。

 

私はもう、可愛いっていうお世辞なんか言われなくても自分で生きていけるから、容姿や体型のことは放っておいてほしい。

自分で美しくなるために、自分のために美容やお化粧を頑張るし、ダイエットやオシャレだってそうだ。

誰かに何か言われるためにやっているわけではない。

 

 

2年ほど前に、私が常時すっぴんで過ごしていた高校の頃の同級生に再開した時、私がお化粧している顔を見て同級生が開口一番に「女になってると思った!」と言ったことがある。

同級生は高校生の頃と変わらずすっぴんのままで20代を過ごしていたようだった。

産毛も剃らず、眉毛も整えないでいた彼女は、そういうありのままの自分に満足していたわけではなかったことが、その後の会話でわかった。

けれども不思議だった。

なぜありのままの自分に自信がないのに、繕わないのだろうか。

お化粧をすればプラスαで自信を積み重ねられるし、オシャレもダイエットも同じだ。

自分を好きになるための美容なのだ。

 

話題が尽きた頃に、肌が綺麗だね、と何気なく褒めると、「化粧水はしてるんだけど、なにもしなくても肌が綺麗なんだよね」とデレデレしていた。

それならそれで自信を持ってありのままでいたらいいのに、彼女は自信がなく、ネガティブで、綺麗な女性の悪口を言っていた。

何か心の底に「美」に対する悪いイメージや感情があるのではないかと疑ってしまうほどに、彼女はありのままの自分の姿に自信がないのに、美容には一切手を出していなかった。

 

私なりに考察をしたのだけれども、彼女は大人の女性になることに抵抗があったのかな、と思う。

ずっと子供のままでいれば、いろんなことで傷つかなくて済むし、自分の至らないところに向き合わなくてもいいし、自分の非を認めなくてもいい。

なにより「女」にならなくていい。

私に向けられた「女になってると思った!」という言葉は、同じように子供のままでいると思っていた私が大人の女性の嗜みを自分に施していたことを、彼女の頭の中で一瞬で咀嚼して飲み込んだ結果、口をついて出てきた言葉なのかなと、今になって思うのだ。

彼女からしたら、まさか私がお化粧をしていると思っていなかったのだろう。

出会い頭のあからさまな驚いた顔を、今でも覚えている。

「げっ」ていう漫画の効果音は、きっとあの顔の時に使うんだと思う。

 

同じように学生時代をすっぴんで過ごした同級生の私がお化粧をしていたことが、それほど驚くことかというとそうではない。

20代を過ごす中でお化粧をしない人の方が少数派だと思う。

だから、お化粧をする多数派からのお化粧をしない少数派への嫌味も多い。

私も実際に彼女から様々な容姿や体型への、他人からの嫌味を聞いて、少数派でいることでこんなに風当たりが強いんだな、と悲しい気持ちになった。

だからって私が彼女の体型や容姿に対して何か思ったかと言われたら、「女になってると思った!」と街中で大きな声ではっきり目を見て言われるまでは、なにも思ったことがなかった。

言われて初めて、彼女が少数派であることや、それ故に嫌な思いをしてきたことに気がついた。

でも、嫌な思いをしたから他人に刃物を向けていいわけではないと、私は思う。

 

私は、言われたら言い返すという文化が好きではない。

何か嫌なことやおかしなことを言われたり、マウントを取られても、言い返すことはない。

なぜかというと、言い返すことで自分の価値を自ら下げてしまう気がするからだ。

嫌な人間になるために自分で下がっていくような気分になるので、基本的にマウントを取られて取り返せる状態でも取り返さない。

「そうなんだ、それは辛かったね」「そうなんだ、あなたはすごいね」と、受容することしかしない。

(まあ、マウント取られても嫌味を言われても受容するからいけないという部分はあるけれど)

 

人は皆、話を聞いてほしくて自慢をしたい。

それは誰にでもあると思う。

ただ、それを私も周りの人につられてやるのは、無理だ。

自分のことを自分で下げてしまうような気持ちになることを進んでやりたいと思わない。

辛いことでマウントを取られたら「そうなんだ、それは辛かったね」でいいし、自慢されたら「そうなんだ、すごいね」でいい。

人より上に立ちたいという気持ちを、相手に面と向かって伝える人間と目線を合わせたくない。

心の中で思う分には自由だけれども、面と向かって相手に伝えてしまうのは、私は個人的には、ちょっとどうなの、という感じだ。

 

美について嫌悪感を持っていたであろう同級生も、刃物を向けられすぎて、たまたま身近にいた刃物を向けやすい私に向けたのである。

それ自体が「それは辛かったね」という気持ちでいっぱいだ。

皆各々知らないうちに誰かに刃物を向けているし、向けられている。

私も知らないうちに誰かに刃物を向けていると思うし、向けられることもある。

それでもLOVE&PEACEで優しく生きていけたらな、と思う今年4日目のお昼である。