揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

マシになること

 

 

 

 

 

鬱々とした気持ちを晴らすために散歩をしていたのだけども、靴下を買おうと立ち寄ったしまむらで可愛いヘアアクセサリーを見つけ、そういえば「変わりたい」と思ってからヘアアクセサリーを選んだことがないな、と思い、棚を見ていたら思いの外いいものがあったので買ってきた。

もちろん靴下も買った。

 

いくら希死念慮が強くても、こういう小さなことで「今よりもマシになりたい」という気持ちが自分の中にあることを再確認させられる。

少しでもマシになりたいという気持ちが無くならなくて、それは日に日に強くなっていくし、もしかしたら今本当に変わり時なのかもしれないなあ、と思う。

いくら全てを諦めたいほど目の前が真っ暗でも、目の前にお手頃価格の可愛いヘアアクセサリーがあったら買ってしまう。

しまむらだから尚更だ。

というか、しまむらが進化していて驚いた。

今はもう服を買うためにしまむらに行くことがなくなってしまったので、頻繁に通うことがないのだけれども、アクセサリーのクオリティが高くなっていた。

それでいて、お値段が高くても500円しないというハイコスパ

お化粧品や服に関してもそうだけれども、今はそんなにお金をかけなくても品質が良いものをあちこちで買うことができるから、お金をかけずに美しくなる術がたくさんあって、美にまつわることは全てお金がかかるというのは過去の話になったらしい。

物によるとか人によるとかも確かにあるけれど、100均のクオリティが年々上がっていくように、プチプラコスメのクオリティも年々上がっていき、ついにしまむらのクオリティまでもが、私の知らない間に上がっていたらしい。

可愛いってお金がかかる、とか、女の子を育てるにはお金がかかる、ということが、どんどん古い価値観になっていくような気がする。

今の子供は、ものすごくオシャレだけれども、お年を召した方が思うよりもお金がかかっていない。

私もギリギリその中に入っていられたらいいなと思う。

子供のカテゴリーではなくて、お金がかかっているように見えてかかっていない人のカテゴリーで。

 

 

しまむらのハイコスパアクセサリーにものすごく興奮しながら、アクセサリーの棚を漁っている最中にぼんやりと考えていたのだけれども、こういう「自分を美しく見せるもの」に触れていられるのは、もしかしたら運がいいことなのかもしれない。

見た目に関することや美醜で全てが決まるとは思ったことがないけれども、自分に自信を持つために美に関することをあれこれやってみるのは、確実に自尊心が上がると思う。

実際に、昔読んだ「境界性人格障害の治し方」みたいな本に、「とにかく自尊心が落ちてるから身の回りのことをやる、髪の毛にトリートメントをつけたり、お化粧したり、ネイルをやったりする」とかそういうことが書いてあった。

私もとにかく自尊心がなかったので、病気の治療も兼ねて美容に精を出している。

この場合、結果がどうだとかはあまり関係ないと思っていて、「大嫌いな自分を自分でお姫様にできるか」ということに重点が置かれるのだと思っている。

 

長い年月がかかったけれども、私は自分のことを少しずつ好きになってきている。

昔ほどの憎しみを自分に向けていないし、お世辞を言われたらかわすけれど、自分のことは並くらいの容姿だと思うようになった。

というか、あの両親から生まれたのだから妥当だ。

「あの両親から生まれたのだから妥当だ」という言葉は、昔一緒に働いていた人が言っていて、なんかいいなと思ったので私も使っているのだけれども、トンビが鷹を産むことがないように、私の顔は、あの両親から生まれたのだから妥当なのだ。

 

何年も何年もかけて、下手の横好き状態で美容に取り組んで、私が自分で変われる部分はだいぶ変えられたと思う。

だからこその、「女になってると思った!」という言葉だったのかもしれない。

 

詳しくは↓の記事にあります。

 

魔窟育ち - 揺れるように

(情弱すぎてリンクの貼り方わからねえ…たすけてくれ…また調べてやり直します)

 

「女になってると思った!」と言われてから2、3年ほど、その言葉の意味をぐるぐると考えていたけれど、今は納得している。

自分を嫌いなまま、自信がないままでいる同級生に言われた言葉なのだけれども、同級生と一緒に過ごした学生時代を思い返したら、私はこの言葉を聞いた時点で、わりと自分のことを好きになっていた。自信を持てていた。

学生時代に比べたらの話なので、心に歪みがない人と比べたらまだまだ足りない部分もあるけれど、自分に対して「そんなに悪くないじゃん」と思えるようになっていた。

それだけでもう充分だ。

大嫌いな自分を自分でお姫様に変えるために、コツコツ自尊心を積み重ねてきた。

その結果として、今の自分になれた。

自分が大好きではないけれども、学生時代のように、自分が大嫌いなことはない。

普通に、可愛いものがあれば買うし、身につけるし、お化粧もするし、人に会うときはおしゃれもする。

私がお化粧を始めたのは約10年前だ。

約10年かけて、精一杯やって、一枚一枚ティッシュを重ねるような積み重ねだった。

はたから見たら何をやっているのかわからないような努力を積み重ねて、自分のことをわりと好きになれた。

自信がないと感じることはあるけれども、自分を忌み嫌うようなことはもうない。

 

話が戻るけれども、私がこうやって美容に取り組んで、自分を好きになれたことは「運がよかった」とつくづく思う。

周りの人の心ない対応があったり、そもそも美容を悪とする環境で育っていたら、今頃まだ自分を嫌いなままで三十路手前になっていたかもしれない。

私は本当に運が良かった。

今考えたらどう見てもぼろぼろの格好でデパコスのカウンターに行っても、きちんと対応してもらった。

私の荒れた肌に、美容部員さんは、綺麗にお化粧を施してくれた。

周りの人も、私の見た目やお化粧をあからさまに馬鹿にすることはなかった。

ひとつも傷がつかなかったと言ったら嘘になるけれども、自分の美に対して大きな傷を他人から一方的につけられることは、そんなになかった気がする。

小さなかすり傷はあるけれど、かすり傷は治りやすいものだ。

 

 

ここに辿り着くまでに約10年もかかってしまった。

約10年で済んでよかったとも思う。

ここから先も、私は私の人生を開拓していく。

自分のことを好きになるための約10年、ずっと右往左往していて、落ち着かなかったから手が出せなかったこともたくさんある。

それはこれから、少しずつやっていけばいい。

何をやるにも、自尊心や自己肯定感はあったほうがいい、と、この約10年間で痛感した。

自分が傷つく結果に終わることもあるけれど、それはまだよくて、最悪の場合、他人が自分の傷を庇ってしまったりすることがある。

それはもう、庇ってもらってしまって本当に申し訳ない気持ちになったので、周りの人のためにも自分のためにも、最低限の自己肯定感と自尊心は持っていたいなと思う。

 

積み重ね方が悪くて時間もかかったけど、しまむらでヘアアクセサリーを選びながら、「私は美容に取り組んだことで自分を好きになれた、もし美容に取り組めなかったら、ずっと自分を嫌いなままでいたかもしれない」と思って、背筋がひやっとした。

可愛いものに触れること、可愛いものを身につけることや身にまとうこと、自分に施すこと。

それらは社会のマナーであったりもして、義務感から窮屈に感じられることもあるけれど、私に「自分を好きになること」を与えてくれた。

これからも自分ができる範囲で、まだまだ下手の横好きだけれども、美容に取り組んでいこうと思う。

 

美しくなりたいと思って、それを自分に施すこと。

簡単なようで難しいことでもあるけれど、思考錯誤しながら地道に続けてきてよかったと思う。

まだスタートラインに立てたかも微妙だけれども、始める前よりもマシになったのは確かだ。

これからもマシになり続けたい。

少しずつ少しずつ、大丈夫になっていきたい。