揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

なりたかった

 

 

 

 

 

好きなものを好きでいる時間が一番楽しいからできるだけそういう時間をたくさん持てたらいいな。

 

誕生日とかバレンタインの贈り物選びは順調に進んでいます。

逆に、これがいいなと思うものがぽんぽん見つかるのでびっくりしている。

今まで無意識にいろんなものに対してバリアーを張っていたのだろうか。そうなんだろうな。

 

自分に贈り物をするためにお店を見て回っていると、これは家族に、これは誰かに、と、いろんな人に贈りたいものが見つかる。

こういうふうにして、人にプレゼントを贈るんだよなあ。

経験が本当に乏しい。

自分に対しても、周りに対しても。

 

 

お酒もタバコもやめて、リストカットもやめて、ジャンクフードも食べられなくなって、歌も歌えなくなって、ストレス解消方法が今のところ見当たらないので、とりあえず好きなようにお化粧してひたすら散歩をしている。

またお金を貯めて旅にでも出ようかという気持ちになっている。

そのためにも体力をしっかりつけていないといけないなあと思いながら散歩に出る。

歩いているうちにいろんな嫌なことを忘れて帰宅する。

 

、、、めっちゃ健康的。。。

 

ヘビースモーカー兼酒飲みの面影はありません。ポテチとマクドナルドとラーメンが好きだったという面影もない。

チョコレートは今も好きだけど、ホワイトチョコはちと攻撃性に欠ける。

ビターの苦いやつ食べないと意味ないんだよ。

 

またいろんなところに旅に出たいな、という気持ちがある。

投薬治療が落ち着いて、1日に飲む薬の量が最低量まで減った。

薬でバランスを取っていた部分がたくさんあったことに気づいて、元々の私ってこういうことが苦手なんだなあとか、できないんだなあとか、そういうことがたくさんあると気づいた。

その自分でまた旅に出たい。

 

どこかへ出かけるには安定した精神状態と歩いても疲れない足腰や体が必要だ。

だから私は散歩をする。

最近はだいぶ歩けるようになってきた。

もう少し、もう少しと山を登るように毎日を過ごしている。

 

いつ山のてっぺんにたどり着くのか、全然見えてこないけれども、ひたすら登る。

私はこういうのが嫌いではない。

ずっとこういう人生だったから、慣れてきた。

やまない雨はないし、てっぺんがない山もないので、とにかく今はひたすら徘徊という名の散歩を行うだけだ。

 

 

 

吐き出したいことが山ほどあってもうまく吐き出せないから辛くなることを見抜いて言葉をかけてくれる人もいたけれど、それはあなたが傷ついちゃうからやらないよ。

やさしいね。みんなやさしい。

散歩をしている時にふとそういうことを考えて、泣き出したくなってしまうのだけれども、鼻をすすりながら涙をこらえて家に帰っている。

またタバコを吸おうかとも思ったり、電子タバコでもいいかもしれないとも思ったけれども、もうタバコに対する恋心のようなものは消え去ってしまったし、タバコを吸うこと自体に意味がないことや、ただの依存症であることに気付いてしまったので、もう吸わないだろう。

もうあのワンコインで買える嗜好品に意味を見出せなくなってしまった。

意味なんかないと信じ切って楽しめていた頃はもしかしたら幸せだったのかもしれない。

とにかく、なにか吐き出すものが欲しくて右往左往している。

 

下手でもいいからカラオケに行ってみようか?

また歌を歌えるようになれるかな?

でももう、私は私が歌を歌えなくなったことをよく知っている。

もうそういう私は終わったことも、わかっている。

歌を歌うことは大好きだったし、ずっと私は歌を歌うんだろうなと思っていたから、歌を歌えなくなった時に、自分が死んでしまったような気持ちになった。

死んだ自分すらも受け入れてこの先を生きなければならないことと、もう歌える自分には戻らないことにも絶望した。

好きだった自分の一部が死んでしまって、それすらも丸ごと愛さなければ先に進めないなんて、そんな悲しいことがあるだろうか。

 

 

悲しいけど毎日はちゃんとあるし、地球は回るし、隕石なんかぶつからないから壊れない。

私はちゃんと息をするし、ご飯を食べて排泄をする。

お風呂に入って髪の毛や体を綺麗にする。

受け入れ難い変化が起こっても、日常は淡々と進む。

こういう時どうやって乗り越えたらいいのか、私には分からない。

どんな言葉で慰められても心が穏やかになることはないと思う。

私は「なりたい私」を手放さなければならなくなっている。

仕方がない側面と、不可逆なことが半々くらい。

なりたい私を追求して生きていく私のこと、わりと好きだったよ。

でももう終わりなんだね。

「なりたい私」なんて必要なくて、足りないことや欠けていることを全部ひっくるめて私だったんだね。

でも、歌を取り上げることはちょっと、ひどいとおもう。神さま。

 

今度、昔の会社の上司と何かやり取りすることがあったら、飲み会で上司が撮影していた、私が歌を歌っている動画を見せてもらえないか交渉してみようと思う。

私が大好きな私が生きていたことを知りたい。

大好きだったのになあ。さみしい。

やっぱり、歌を取り上げるなんて、こんなに的確に私が絶望することを人生に盛り込んでくるあたり、神さまはどこかで見ているんだと思う。

 

乗り越えないとね。