揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

「そのままのあなたを好きになる人がいるよ」

 

 

 

よく「そのままのあなたを好きになる人がいるよ」という言葉を見かけるけど、絶対嘘だと思う。

 

この手の言葉の危ないところは、「努力しなくても人から好きになってもらえますよ」という言葉にいつの間にかすり替わってしまいがちであることだ。

努力しなくてもいい、人からよく思われたいという気持ちがゼロになった状態で、それで好いてくれる人がほんとうに現れるとは、私は思えない。

 

私が本格的に変わろうと思う前に、私のことを好きな人が何人かいたことがあった。

様々な場面で出会ったけれども、私はその人たちにはあまり興味を持てずにいた。

なんだかんだでうまく受け流してうやむやにして、「ああ脈がないんだな」という状態を作り出して、傷を最小限に抑えて離れてもらった。

どうしてそういうことをしたかというと、「その時の私を全肯定されたら困る」という理由があったからだ。

 

恋人やパートナーは、基本的に「あなたのことが好き」という気持ちを持っているから「自分のことを全肯定してくれる人」になる。

過去や今の私は、そこで全肯定してもらって変われなくなったら、死ぬまで終わらない生きづらさの正体がわからなかったかもしれないのだ。

歪なままで肯定してくれる人を見つけるのも手だけれども、私にはそれは合わなかった。

自分のことを自分で変えてどうにかできるっていうことを、ずっと求めてきた。

 

当時の私のことを好きでいてくれた人たちには申し訳ないのだけれども、ほんとうに、自分で自分の歪なところを整えたい。

変えなくていいのかもしれないけれど、変えられる余地があるなら私は変えたい。

人間そんなに無理して変わらなくてもいいのだけれども、これは無理ではなく前進。

前に進まなくてどうするんだ。

 

 

「そのままのあなたを好きになる人がいるよ」とよく言われるけれど、長年続いた生きづらさや、そもそも私はなぜこの病気になったのかという、私の根っこの部分を掘り下げて歪みを整える前に全肯定されると、私が後々困ってしまうのだ。

好きになってもらえるのは喜ばしいことだけれども、今の私はそういうタイミングではない。

実際に、歳を重ねてみて「あのとき全肯定されてたら絶対ここまで変われなかった」と思うことも多々ある。

そのままの自分を受け入れることも大切だけれども、あまりにも歪な姿で自分を肯定してしまうと、後の人生を歪なままで生きていくことになる。

それは避けたいというのが私の本心である。

 

歪の度合いは人それぞれだけれども、私の歪が度を超えていることを私は知っている。

だからこその「変わりたい」なのだ。

歪を超えてドロドロに溶けたアイスクリームのような姿の私を好きになってくれる人がいるとして、私側は「いやちょっと今の姿で肯定されると今後のために良くないし、キツイっす」というのが本音だ。

好意自体はとても嬉しいけれども、受け取っていい状態ではない。

そもそも、土台のない土地に家を建てても丈夫に建たないように、人間としての土台を建設中の私にはまだ重たすぎる。

変わってから、変えられてから考えたい。

 

 

「そのままのあなたを好きになる人がいるよ」という言葉によくすり替えられる「努力しなくても好いてもらえる」という状態が出来上がってしまうと私はしんどい。

友達同士でもそうだけど、努力なしに成り立つ関係性というのは、怠惰も含んでいる。

片方がもう片方の人生の前進を妬んだり、同じレベルのままでいてほしくてダイエットを阻止したり、恋人を作らせないような言葉をかける。

私が経験してきた様々な友情の中には、そういうものがたくさんつまっていた。

努力なんかしなくてもいい関係性には、「ずっとこのまま不幸でいようね」という契約も含まれていた。

それなりに努力を伴う関係になると「そんな頑張りすぎなくてもあなたはあなただしいいんじゃない?」みたいになる。と思う。

そのままの自分を好きになってもらえることと、努力をしなくてもいいことは、イコールで繋がらないと思う。

私自身、意味をすり替えてしまわないように心がけている。

 

 

「そのままのあなたを好きになる人がいるよ」という言葉はこの世の全ての人を救う言葉だと思うけれども、意味をすり替えてしまうと違うよねということだ。

努力しなくても好いてくれる人はとてもありがたいことなのだけど、努力しない状態をノーマルモードにした関係を作り出すと、後々自分が後悔することになる可能性もあるし、自分を変えるって言ってもどこらへんで区切りをつけるのかが難しいなぁと思う。

100キロくらいあった人がダイエット始めて、どこらへんの体重でダイエットを終わりにするのかを考えるのに少し似ていると思う。

私もいろんなものを削いだり剥いだり付け加えたり、考えて色々やってきているけれど、「人並み」という言葉以上に難しいものはない。

 

 

私は基本的には「そのまま」で肯定されると後々困るのが目に見えているけれども、おそらくどこかで変わることに区切りをつけて肯定されることを覚えることになるけれども、ほんと、それをどこにするかが重要なのかもしれないなぁと思う。

自分で自分にOKを出せるラインって、どこなんだろうな。

「そのまま」で好いてもらえて、この状態で全肯定されても後々困らない状態って、どんな状態なんだろうな。

まあ、今はそんなゴールは影も形も見えないから、前進し続けるしかないんですけどね。