揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

お金と育ち

 

 

 

 

歳を重ねてから、育ちというものについて考えることが増えた。

育ち。

言葉自体に的確な意味はないらしいが、「幼少期から常識的な教育を受けたかどうか」「育ってきた環境が良かったかどうか」などの意味合いをブワッと覆ったのが「育ち」という言葉のようだ。

 

私は個人的に、育ちがよくなくても大人になったら自分で変えられると思っているし、恥ずかしい振る舞いが多いなら自分で常識を身につければいいという考えである。

私も、自分自身の育成環境や親の育て方、接し方についてはたくさん思うところがあるが、こうなってこう産まれて病気をしながら育ってきた以上仕方がないことだし、過去は変えられない。

「嫌だから自分で変える」ということの途中である。

 

昔、一人称が俺で、二人称がお前で、男言葉を使う女性の友人がいたことがある。

トランスジェンダーとか性同一性障害とかではないようで、私が彼女に出会った十代の頃には既にその言葉遣いが出来上がっていた。

「俺」「お前」「だろ?」「じゃねえの?」という言葉を女性が使うということに対して、十代の頃はそんなに違和感を覚えたことはなかった。

時は過ぎ、二十代半ばになって彼女と再会した時も、彼女は「俺」「お前」「だろ?」「じゃねえの?」などの言葉を当たり前のように使っていた。

二十代半ば、そろそろ後半が見えてくる頃である。

妙齢の女性が使う言葉としては違和感があった。

 

後々、ネットで調べてみると「俺女」という言葉がヒットした。

漫画に出てくる男勝りな女キャラクターに憧れて、そういうふうになってしまうらしい。

たしかに彼女はオタクだった。

二十代半ばで俺女を貫く彼女は、周りからの目を一切気にしていないような「我が道を往く」タイプなのだろうか。

それはそれでいいと思う。

いちいち他人の目なんか気にして生きていても仕方がないし、そういうのを気にせず自分らしく生きていけるのは素晴らしい。

のだけれども、どうにも言葉遣いが悪すぎる。

どんな相手にでも「お前」という言葉を使うのが一般的だと、私は思えない。

それに、こちらは苗字にさん付けで呼んでいるのにあちらからは「お前」と呼ばれているので、なんだか馬鹿らしくなってしまった。

最低限の敬意を持って接しても、親身になって愚痴を聞いても、返ってくるのは丸めたボロ雑巾のような言葉で、正直疲れてきてしまった。

私は意を決して「常にお前って言うのやめた方がいいよ、言葉遣いがよくないよ」と指摘した。

私が人に指摘できることなんてこの世にないし、指摘できるほど偉くもないのだけど、「周りの人と合わない」という理由で職を転々としていて、「周りの人と合わないから人間不信になる」などと言う割に自分の行いや発言は一切見直すことがない、彼女の「私は完全に被害者だ」という姿勢を見直すことにもつながってほしい気持ちも僅かにあった。

彼女は私の指摘を聞いて、ケロッとしていた。

そして、「ああ、ごめん、育ちが悪いから。お前は言っちゃうかも」とだけ返した。

 

育ちってなんなんだ。

産まれてはじめて自分から「育ちが悪い」という人を見て、めちゃくちゃに戸惑った。

 

「育ちが悪い」ってなんなの?

「育ちが悪い」の一言でどんなことでも回避できる魔法の言葉なの?

はあ?ふざけんなよ?

「育ちが悪い」って「お父さんお母さんにまともに常識を教わりませんでした」みたいな、親や周りの人への最大級の悪口だよ?

ふざけんじゃねえぞ?

 

と当時めちゃくちゃに怒ったけど、もう話が通じなさそうなので諦めた。

 

それから、「育ち」というものについて考えることが増えた。

育ちの概念が難しいけど、私の中では「一般的な教育や躾を受けたか」ということだと解釈している。

一般的というとまた難しい。

家庭によって最低限のマナーも躾も違うし、自分の家が一般的な収入の家庭だと思っていたら、一般的な家庭というのはもっと裕福らしいとか、もっと低所得らしいとか、様々である。

何をどう考えて「育ちが悪い」と言うのかは、はっきり定義できない。

あっけらかんと「育ちが悪い」と自称できた彼女が親や周りの人をどう思っていたのかは分からないが、親や周りの人への最大級の冒涜をあっけらかんと言ってのけるので、そういうことなのだろう。

 

彼女からはよく家庭の事情を聞くことがあったが、母親がパチンコ依存症であったり、父親が飲み歩いていてお金がないこと、保険証がないこと、家が古いこと、認知症の祖母を施設に入れるお金がないことなどを懇々と話されていた。

いわゆる「貧乏」だったのだろう。

その「貧乏」「お金がない」家庭で育ったからの「育ちが悪い」という発言なのだと思う。

だとしたら、私は「貧乏は恥ずかしいことなのか」「貧乏だから育ちが悪いのか」ということ自体に疑問がある。

 

うちの父親の実家は結構なお金持ちだったが、父親はお箸の持ち方をきちんと教わらなかったので、就職してから職場で食事を摂る際にとても恥ずかしい思いをしたと語っていた。

だから、自分の子供にはそういう思いをさせたくないから「基本的な躾」をしてあげたい、と思って母と話をしたらしい。

このように、裕福な家庭で育ったからといって育ちがいいわけではない。

様々な要因で、お金はあるけど一般的な躾がされていない子供や人はいるだろう。うちの父親だけではないと思う。

それもあり、貧乏だから育ちが悪い、と一括りにするのは、私はなんか違うんじゃないかと思っている。

 

私が知り合ったお金持ちは、外食では頼んだものを平気で8割ほど残すし、相手の都合を考えられないで自分のことばかり押し付けてきたし、裕福であっても人間的に貧困な人はいると思う。

思うというか、私はそういう人たちにも出会ってきた。

「育ちが悪い」という言葉が「一般的な躾や教育を受けてこなかった」につながるのかわかる、でも「貧乏」につながるのはちょっと違う。

 

我が家は決して裕福ではなかったけれど、お箸の持ち方から言葉遣いから、最低限のマナーは教わったし、育ちが悪いというのは金銭的なことには直結しないと思う。

貧乏だから躾をしてもらえなかった、というのは的外れだと感じる。

私は、「貧乏」自体を恥じることはないと思うし、お金がその人自体の人間性に直結しているとは思わない。

そもそも、お金はあればいいものではあるけれど、なくても死にはしない。

貧乏な自分を恥じるより、金銭の有無と自分の人間性や価値が直結している考え方を考え直してほしいと、個人的には思う。

 

「お金があるから素敵な人」ということもないし、「お金がないから悪い人」ということもない。

与えられた環境と選んだ環境でなんとかうまいことやりくりして、身の丈にあった豊かさで生きていくしかない。

そもそもお金があるないで物事を判断しない心があれば、そっちの方がずっと豊かに生きられると思う。

 

人間、煩悩の数が108あって、お金があるないとか時間があるないとか余裕があるないとか、綺麗な服だとか靴だとかなんかもう他人と比較したらきりがないことっていっぱいある。

けど、そもそも他人と比較しなければいいし、なんでも他人と比べることでしか物事を判断できないのは危険だと思う。

各々、自分の物差しで、自分の豊かさの中で生活して幸せになるのがいちばんよさそうだ。

ていうかね、心が穏やかならわりとなんとでもなるし、その心が荒れてる理由がお金とか他人との比較だとしたらそれはかなり無意味だから考え方を変えた方がいいと思う。

私は過去に「お金で狂ってしまった人」に出会うことが多かったのだけれども、自分はお金持ちだから素晴らしいとか、自分はお金がないからダメだとか思ってる人がたくさんいたけど、そもそも人間性ってお金と直結してないからね。

お金は付属品です。

 

何を書きたかったかというと、お金と育ちは必ずしも直結するものではないと思うし、結局心のありようなんでしょうね、ということです。

そもそも豊かってどういうことだろうね?と考えることもあるけど、結局自分の持っているものや能力を最大限に生かして無理のない範囲で余裕を持って生活できていることと、人と比べたりしないことなんだろうなと思います。

HITOTOKURABENAI!!!!!