揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

もうすぐ四月

 

 

 

 

 

 

とりあえずきちんと三食食べようという取り組みを始めて、もうすぐ一ヶ月が経つ。

早い。3月も終わる。早いな。

 

体重の増加はあった。

あったからこそ、体調がかなり良くなって日常生活に支障が出なくなったというのはある。

あるけど、体重が増えるってそんなに簡単に受け入れられることではないなあ、と思う。

今まさに「低体重でいたい自分」と「体重を増やして健康になりたい自分」がせめぎ合っていて、どちらも五分五分くらいの勢いで騒ぎ立てている。

低体重でいること、標準より細くいることがいつのまにか自分の体の一部と化している。

当たり前に存在する「低体重の自分」を失うのは、とてつもなく怖い。

体重が増えて改善した部分に目を向ければ「もう少し太ってもいいかな」と思えるけど、ふと鏡を見たときや体重計に乗ったときには「痩せていたい」と強く思ってしまう。

バグだ。わかりやすい。

これが拒食脳か。

 

ここまで簡単にあっけなく自分の脳が変わってしまったことにショックを受けている。

あなたは拒食症になる性格をしているからダイエットなんかしたらいけないよ、という忠告を素直に受け入れて、生まれてこのかた自発的なダイエットには取り組まないで生きてきたのに、自分の意に反した過労痩せでここまで脳が歪んでしまったことが悔しくて、今まで必死で守ってきた何かをぶち壊されたような気持ちになっている。

前の会社の人たちを直接的に恨むようなことはないけれど、たまに虫の居所が悪いと八つ当たりのような恨み節をぶつけてしまいそうになる。

回帰するところは「私の退職の意思表示をうやむやにして丸め込んだところ」で、未だにそれを許せないでいるし、当時の直属の上司に腹立たしい気持ちもある。

もう何をどう頑張っても元には戻らない。覆水は盆に返らない。

私は今を認めて受け入れて、この拒食脳の自分と付き合っていくしかない。

でもときどき、自分の正常な思考を他人から歪められた感があって腹が立って仕方がなくなることがある。

逆恨みなんだけどね。

 

これ以上体重を増やしたくないという気持ちで、食べた分だけ動く、みたいな生活をしているけど、拒食回復期だから体重は増える。

体重が増える自分を受け入れられなくて、心の中で前の職場の上司に八つ当たりをする。

こうなる前に退職の意思は伝えてあったのに、という思いでいっぱいになって、はち切れそうになる。

怒りがおさまらない。

 

あれだけ助けてもらった上司に対してそう思ってしまうことは、完全に上司への粗探しだ。

ちょっとだけ意思疎通ができなくて、私が弱くてたまたまこうなってしまっただけだし、私の性格ならいつどこで発症してもおかしくなかった。

たまたまこのタイミングだっただけかもしれないし、そうである確率の方が高いのに、行き場のない気持ちをどこかにぶつけたくて勝手に怒ったり八つ当たりしている。

 

他のことだけども直接謝ってもらったこともあるのに。

もう、自分の器の小ささと精神的な弱さで情けなくて、怒りと悲しみと情けなさと苦しさがごちゃごちゃになって襲いかかってきて、それが膿んだようになって希死念慮の芽が出る。

私よりひとまわり以上も年上の、立場も上の男性が謝罪の言葉を出してきたんだよ。

どうにかして許したい。

相手に面と向かって謝れる人に、辛く当たりたくない。

それでも時折、心の中で膿んだものがぷちっと弾けてしまう。

情けない。何一つ思い通りにいかないような気持ちになって悲しくなる。

 

 

「満足するまで」と言われたら一体何を思い浮かべるだろうか。

私は過去に「満足するまで」何かを求めたことがあっただろうか。

私がやりたいと言ったことに、私自身が「もう辞めたい」と満足するまで手助けをしてもらったというのに、少し意思疎通ができなくて歪んでしまったら怒ったりへそを曲げたり、私はつくづく子供だと思う。

前の仕事に対して「もうお腹いっぱいだ」というふうに気持ちが変わって、これから先のことを考えたら退職をして一回休んで、障害者雇用なり軽作業系の仕事なり、転職をすればいいと気づけたことや、普通の人の普通の人生は私には荷が重すぎるから、私は私のやり方で幸せになろう、と人生の方向転換ができたことは、あの時躓いたから見えてきたもので、そもそもあの時に転ばなかったら今頃もまだお腹いっぱいにならず、満足しない状態で、未練を持ったまま過ごしていただろう。

大きな決断をするために少し傷がついたと思えば癒えるのか、それとも全てことが終わって振り向いたときに「あれはあれでよかったな」と思えるのかは、これから先も生きてみないとわからないことだ。

私は小さな子供みたいに1人でへそを曲げて、退職した後も気にかけてくれた人のことはどう思うんだ。

 

覆水は盆に返らない。

過去は変えられない。

分かっていても、情けなさや悔しさみたいなものが溜まって膿んでいって、時折その膿みから希死念慮の芽が出る。

春だからかな。