揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

根底にあるもの

 

 

 

 

 

幼少期、祖母や母の口癖は「おばあちゃんとお母さんは早く結婚したから、あなたは早く結婚しなくていいのよ」だった。

もう物心ついた時から小学生、中学生になって障害が発覚するまでそれは何度も何度も言われてきたことだった。

障害が発覚してからも時々言われたような気がする。

 

障害が発覚して闘病生活が始まり、母親はインターネットで同じ病気の人のブログを読むようになり、ある日突然「お饅頭の賞味期限切れるよ?」というようなノリで「あんた、子供は無理よ」と口にした。

ああそうか、そうか。

病気だもんな、そうなんだな。

あまりにも若くして「子は産めない」ことを突きつけられ、人生に現実感がなくなった。

普通に晴れた日の昼下がりだった。

 

高校生から大学生の頃には、母親の口癖は「早く彼氏を作れ」「いい人と出会って結婚してほしい、孫の子育ても手伝いたい」に変わった。

それは二十代の間もずっと続いて、漬物をつけるような感じで私に染み込んだ。

私は学生時代にその言葉に惑わされ、好きではない人と付き合い、それに大きな虚無を覚え、「ああ、人からこんなに好かれても、心って満たされないんだな」と悟って別れた。

なんの感慨もないキスも、冷めきった私に浮かれる元彼にも幻滅したし、恋愛で全てが満たされるなんて幻だな、と感じた。

私の母親は恋愛で全てが満たされるタイプだったらしく、その辺は人間としての差だと思う。

友人にも、恋愛で全てが満たされるタイプの子がいたので「なるほど、そういう人もいるのか〜」とあとあと感心したことがある。

友達に誘われた飲み会も断っていたし、職場でなぜか私に執着するお客さんからも全力で逃げた。

合コンにも婚活パーティーにも行こうと思えなかった。

それはなぜかというと、「なんか私、なんとなくだけど、恋愛って感じではないな」という気持ちがあったからだった。

 

それから二十代を過ごし、旅に出ることもあった。

都会にも地方にも行ったし、好きな芸能人のライブ、舞台、絵画を見に行ったりもした。

楽しかった。

友達を作ってみたりもしたけれど、今になって「ひとりで趣味を楽しみたかっただけなのに無理やり友達を作ろうとした」自分に気づいた。

綺麗盛りの二十代だったが、タバコで肌はボロボロ、似合わない髪型に顔に合わない化粧、禁煙した後は薬の副作用がモロに出て、今より15キロは太っていた。

よくダイエットを勧められたが、薬の関係で運動したりダイエットはできなかった。

ひとりで行動したり、人と一緒に行動したりしながら、私は、「恋愛がしたいわけではない自分」に気がついた。

母親は、「お見合いなんて結婚ではない、恋愛結婚だけが結婚だ」と言い切るほどの恋愛至上主義者だったけど、子供の私までそうだとは限らなかった。

好きなものに触れながらふらふら生きているうちに、「どうやら私は、恋愛がしたいわけではなさそうだ」ということに確信を持った。

 

自分の膜がうすい私は、周りの人からの「結婚してほしい」「恋人を作ってほしい」「子供を産んでほしい」という要望を吸い取りすぎて、長いこと「私」として機能していなかった。

他人の要望を吸い込んだ別の何かとして生きてきた部分が大きく、それは「結婚しなければならない」「子供を産まなければならない」「友達がいなければならない」という呪いとして私に染み込み、自分で自分の首を絞めるような生き方をすることになった。

 

ひょんなことから、27歳の時に障害者手帳を取得した。

取得する権利としては、20代前半の頃から権利があったものの、いざとなると躊躇ってしまっていたのだが、観念することができた。

周りの人に迷惑をかけてしまわないように、ということと、普通に生活することはできない、ということを考え、ヘルプマークをカバンにつけるようになった。

観念した。自分が普通に生きられないことを、少しずつ認める作業が始まった。

 

同時に、溜め込んでいたものが爆発し、結婚だ孫だと浮かれる母親に怒鳴り散らしたことがある。

やりたくないことを強制しないでほしいということ、私は遺伝の関係で子を持つことはできないこと、そして、働けたとしてもフルタイムで働くのは無理だということ。普通の人の普通の生活はできないこと。

それを機に、親の口から結婚に関する話題はほとんど出なくなった。

そもそも自分が「子供は無理よ」と若い私に言って心を削いでおいていきなり「孫の面倒がみたい」とか、どれだけ自分勝手で都合がいいんだ、と呆れてしまった。

 

そして三十路を手前にしている。

ここまで生きてきて、そばに男性がいなくて寂しい思いをしたことがない。

そもそも「寂しい」という感覚を抱かないことに気づいた。

空いた時間は好きなことをやるし、好きなように過ごす。

世の女性は「彼氏がほしい」と口癖のようにいうけれど、私は彼氏がほしいと思ったことがないし、その感覚はわからない。

わからない。わからないのだ。

そもそも人と一緒にいるのが苦痛で、誰と一緒にいても気を遣うし、私には「気を遣わない友達」がひとりもいない。

自分と同じような友達もいない。

そういう友達ができると言われる、フリースクール定時制通信制の学校に進学したことがないので、自分と同じような友達はできなくて、無理して頑張って気を遣って付き合う友達しかできたことがない。

 

落ち着いて自分のままでいられる友人関係も築けなかったし、恋人がほしいとも思わなかった。

これは私の性格や個性だと思うけど、幼少期からずっと染み込ませられてきた「恋愛」「結婚」をやりたくないというのは異常なのか、と考えてしまうようになった。

考えて考えて、異常ではないと思った。

私は生きてきてほんの一瞬も「彼氏がほしい」と思わなかったのだ。

それが私なのだと思った。

人と違う自分を大切にできたらそれでいいと思った。

 

もうひとつ、恋愛に手を出す前に「自己肯定」ができるようになりたかったのも大きな理由かもしれない。

全てを肯定してくれる人を作ることで自分を認めるのではなく、自分で自分を認められるようになるのが私の人生にとって一番いい選択だと思えた。

もしくは、このまま自己肯定ができない自分でもいい、という肯定をするか、どっちかだ。

この先のことはどうなるかわからないけど、とりあえず彼氏はほしくないし、前の記事にも書いたけど人間として接してもらいたい気持ちが大きい。

自分を嫌いでもないけど無下に扱ってしまうことや、相手の非を自分のものにしてしまうところ、全ての責任を自分に持たせてしまうところは、なるべく早く自分で解決したほうがいいと思う。

解決というか、少しずつ「普通でいなければいけない」という呪いを自分で解毒し、障害があって普通には生きられない自分を肯定する作業に着手するのが一番いい。

現実に、私はどう頑張っても足掻いても「彼氏がほしい」「寂しい」と思えないのだ。

これはもう、どうしようもない、紛れもない事実だ。

 

わりと近しい友人がつい最近結婚した。

それでも私の心は動かず、相変わらず彼氏がほしいとは思わない。

友人と自分を比べ、自分が何か非人道的な生き物に思えてしまうことがあるが、ただ単に私は「彼氏がほしくない女性」なんだろうなと思う。

そばに男性がいなくて寂しいと思ったことが本当に一回もない。

むしろ、いきなり男性から好意をぶつけられることに対して煩わしさや迷惑を感じてしまうような人間だ。

 

長々と書いたけど、そもそも恋人がほしいと思ったことがない人間にセックスや恋愛や結婚を勧める人間がおかしいのだなと思った。

的外れだと思う。

ほしくないからいらないし、やりたくないよ。。

無理やりやるには私にはリスクが高い。

セックスに対して「リスク云々」という言葉が出るのは、そもそも「彼氏がほしい」と思ったことがないから、セックスするなら「無理やり好きになった人」「どうでもいい人」であることが無意識のうちに前提とされているからだ。

私は彼氏がほしいと思ったことがない。

だから、「セックス」単体で行為として考えるなら、別にどうでもいい人とすることになってしまう。

セックスをするために彼氏を作るとなっても、そもそも彼氏はほしくない。

 

「普通の人の普通」に飲み込まれてそれに合わせようとしたりしてしまって、結局虚無を得ることになるのは何度も何度も繰り返してきて学んだので、もう惑わされずに生きていこうと思います。

私は私以外の誰にもなれないし、誰かになれるような器用な人間でもない。

私以外の誰かになって生きていったとしても、どこかでボロが出るような、嘘はつけない人間だからこそ、普通に生きられない自分をそのまま肯定して生きていけばいいんだと思う。

 

そもそも「寂しい」ってなんなの?

普通に生きてて「寂しい」って感じないんだけど、なんなの?

みんなウサギちゃんなのか???

一人でいられる時間が増えれば増えるほどhappy!みたいな私にはよくわからないです。。