揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

少女漫画と何食べ&ハナミズキ

 

 

 

 

 

ここ数日、めちゃめちゃ恋愛したさに駆られている。(躁なだけかもしれないけど)

なんというか、今までどういうラブソングを聴いても少女漫画を読んでもどうにも動かなかった気持ちがぐわんぐわんに揺れている。

原因は、「きのう何食べた?」という漫画を読んだからだ。

 

なかよし、りぼん、ちゃおなんかで読んできた少女漫画は一貫して「女の子らしい主人公が男の子に好かれて恋愛をしていく」というスタイルのものが多いのだけど、私はその基盤の「女の子らしい」ということが大っ嫌いで、常に可愛くありなさい、とかそういうメッセージを感じまくってはげんなりしてきた。

だから私が好きになる少女漫画は主人公が女の子女の子していない漫画が多かった。

私が大人になっても読み返したいと思う少女漫画は、だいたい主人公が女の子女の子していない。

そもそも、作者さんが主人公を「女の子」にしないで「人間」にしてくれているとスッと感情移入できたし、そういう作者さんの漫画はいまだにずっと心に残っている。

主人公が男勝りだったり、ギャグテイストだったりすると、心を許して漫画を読むことができた。

だいたいそういう作家さんは大衆受けする漫画を描くかたではなくて、短い連載が何度か続いた後、紙面ではいつの間にか見なくなったりすることが多くて、それで何度も歯がゆい思いをしてきた。

私が好きな漫画家さんは、いつの間にかどこかに消えてしまう。

それはその人の描く漫画が、一部の読者にしかウケない漫画だったからで、私はその一部の読者だったんだろうなあ、と思う。

小学生のときから「女の子は女の子らしく」「服や髪型に気遣いなさい」「いつも可愛くいなさい」というようなメッセージを含んだ漫画が苦手だった。

だから好きな少女漫画がほとんどないまま大人になったし、ヒットした作品はだいたい苦手である。

小坂理絵さんの「とんでもナイト」がギャグも何もかも私にはベストマッチで好きなのだけど、周りに小坂理絵さんの漫画が好きな人はいなかった。

こどちゃはヒットした漫画の中では珍しく最終巻まで読めた。

「女の子だからバカでもいい、可愛くしてスタイルをよくして彼氏を作りなさい、恋愛をしなさい」みたいなテイストの漫画がすごく苦手で、小学生のうちからこんな刷り込みされたらたまったもんじゃねえよ!みたいな気持ちになったこともある。

 

で、歳を重ねるにつれ、漫画を読む時間がなくなってきていて、漫画離れしていたのですが、最近「きのう何食べた?」という漫画を読みました。

もう!とてもいい!

「友達と好きな人がことごとく被って取り合いになる」とか「クラスで一番イケメンのサッカー部キャプテンに振り向いてもらいたい」とか、私が求めてる恋愛漫画はそういうのじゃない感を感じていたところに、何食べはスルリと入ってきた。

いやまあ、ゲイの恋愛漫画だから女の子要素はないんだけども、私がとんでもナイトを読んでいた時に一番心に残ったセリフの「歳をとってヨボヨボになってもいい、カンナはカンナだから」に通ずるものを感じたのです。

(とんでもナイトは人間型ロボットの小次郎と人間のカンナの恋愛漫画なのですが、小次郎がロボットだとクラスメイトにバレた際に「小次郎くんは歳を取らないけどカンナはヨボヨボのおばあちゃんになるのよ?!」みたいなセリフがあって、それに対する小次郎の答えが「歳をとってヨボヨボになってもいい、カンナはカンナだから」なんですよ、最高)

あと、とんでもナイトは主人公のカンナがめちゃめちゃギャグに富んでて面白い。

そのへんも何食べを読んでいてフィーリングが合うと感じるところですよね。

 

で、岩のように動かなかった「人が怖い」気持ちから「ちょっと一回、今の私で恋愛してみたいな」という気持ちに移り変わりつつあるのです。

わー!単純!(笑)

 

ただ、馬鹿でかいハンデ持ちなので、相手に悪いなと思ったら撤退すると思う。

 

なんで撤退するの?とはよく言われるんだけど、それは私の恋愛観がハナミズキだからだと思います。

ご存知でしょうか、一青窈ハナミズキ

あれ、歌詞ちゃんと読んだら分かるけど、ものすごい悲しい歌ですよね。

 

二番の

 

夏は暑すぎて

僕から気持ちは重すぎて

一緒に渡るには

きっと船が沈んじゃう

どうぞ行きなさい

お先に行きなさい

 

僕の我慢がいつか実を結び

果てない夢がちゃんと終わりますように

君と好きな人が100年続きますように

 

 

 

悲しくないですか?

要するに「私は重荷になるから船が沈まないように、その船に乗るのは我慢するよ。先に行って。君と好きな人が100年続きますように」ってことです。私の解釈ですが。

まあ、私の恋愛観ってこれなんですよ。

私の病気がどんなもんかというと、もうほんとに重い病気で、2000年代に入るまで「この病気は重すぎて、病名を知ったら患者さんのその後の人生に支障が出るから、患者さんは病名を知らない方が幸せだ」っていうお医者さんがいたくらい激重な病気らしいんですよ。

で、私も例に漏れず日常生活とかもままならないことがほとんどだし、相手のことが大切になればなるほど、私なんかよりもっと普通の人と恋愛して幸せになってほしいと感じるのです。

 

好きだからこその「相手に幸せになってほしい」という気持ちが大きくて、大きすぎて今までなかなか踏み切れなくて、誰かの重荷になるくらいならずっと一人でいた方が気楽だなって感じるのです。

特に私は、迷惑をかけてしまうことを申し訳なく思う気持ちが強いし、私でなければいろんなことができたよね、という気持ちは、どう足掻いてもなくなってくれない。

結局自分から手を離してしまうし、会いたいと思ってくれている人にも会えないまま終わってしまう。

難儀だなあ、と思います。

 

何食べを読んでて「恋愛してみようかな、してみたいな」とは思うものの、病気が重すぎて踏み切れない。

よく、病気は恋愛に関係ないという人もいるけど、関係あるよ。

こちとら、気持ちのコントロールが自分でできなくていきなり大声で叫んだり、家の中のものひっくり返したり投げたり、大泣きしたり、診断書には「病気による人格変化あり」みたいなことも書かれてるんだよ。

めちゃめちゃ関係あるよ。

それに加えて私は恋愛観がハナミズキなので、やっぱり、大事な人には普通に幸せになってほしいです。

普通に、って、意外と大きな幸せですよ。

普通でない幸せもある、もちろんあるんだけど、普通の幸せというのは実は当たり前のようで当たり前ではない、とても大きな幸せなのです。

私と一緒にいたんだと、とてもじゃないけれど普通に幸せにはなれないんだよな、介護なんだよな、と思うたびに心が重くなる。

改めて、普通のレールから落っこちちゃったんだなあ、と悲しくもなる。

 

ところがどっこい!

自己肯定の魔法をかけることを頑張ってきた成果でしょうか。

最近は「相手が嫌だったらフラれるし、別に負担になっててもよくない?」という思考になってきているのです。。

 

山が動いた感がありますね。。

恋愛観がハナミズキの女が、「え?船が沈むかなんてわかんないし、沈むなら船から落とされるよ。ダメ元で乗ってみようかな」という気持ちになりかけているのです。

今まで足りなかったパズルのピースがひとつ見つかって、それでパズルを埋めてみたらどんな絵なのか一気に分かってきた、みたいな。。

すごい、自己肯定感、少しずつ付いてる。すごい…気の持ちようが全然違う…ナンダコレハ。

 

今までだったら、何食べを読んで「恋愛してみたいな」と思っても、「いや、負担になるし無理だよ」って諦めてたのが「ちょっとやってみてもよくない?」という気持ちです。

自分でもちょっと何が起こってるのか分からない…。。

気の持ちようが全然違う。

自分のいいところに目を向けられるって、こんなに心地いいことなんだ…。。

 

 

ということで、今実はわたくし、絶頂モテ期の2年目らしいので、自分から手を離さないようにして、ちょっと機会があったらやってみます!(ホンマかいな)

まあ、まず恋愛とかよりも拒食で減った体重を元に戻すところからなんですけど…ハハ…なかなか戻らない…。。

まあ、ダメならダメでそれでいいかって感じです。

うまくいくものは何がどう転んでもうまくいくものよ。

何事もハナミズキを発動させないように頑張っていこう。よし!