揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

丁寧な暮らし???

 

 

 

 

 

最近、自分で食べるものを自分で作っていると主治医に話したら、「その(ご飯)作るの、続けてみなさい」と言われた。

続けたらどうなるのか全くわからないまま、とりあえず自炊生活は続けるらしい。

今のところ、ミルクティーは自分で淹れる、甘いものが食べたい時はフレンチトーストを作る、ひとり分の食事は作る、みたいなことをやっていて、なんとなく「丁寧な暮らし」感がある。

でも実際に今の脳みそボロボロの私が作れて、作り続けられるレベルの料理っていうのは、材料と調味料をぶち込んでフワッとラップをしてレンジでチンするような料理ばかりだ。

最初こそ「これは料理なのか」という謎を感じていたけど、慣れてしまえば「レンジでチン」も立派な料理だと感じる。

 

鬱がひどくなり、普通に入浴するのも手間取るようになり、お風呂に入れない日が続いた時に、ロレアルのクレンジングクリームを導入した。

髪を濡らし、シャンプーを泡立てて流し、コンディショナーを揉み込んで流す、という作業ができなくなってしまった。

ロレアルのクレンジングクリームなら、髪を濡らしてクリームを塗布して放置した後流すだけ。

それでいて、シャンプー、トリートメント、コンディショナーを一気に終わらせることができる。

最初こそ、その手軽さに慣れなくて「これは本当に大丈夫なのか」と不安だったが、慣れてしまえば「なんと便利なものが開発されたんだ」という感動すらあった。

 

私は完璧主義なところがあって、今までこういう、時短とか手抜きとかをなんとなく避けてきたんだけど、今はもう全力でそれらにお世話にならないと生活ができない。

私の今までの生き方や考え方を、今回の鬱は根底からひっくり返し、「もっと気楽に生きたほうがいい」「手抜きを覚えたほうがいい」と、見知らぬどこかへ導いてくれている。

何度繰り返しても消えることのなかった、人も自分も追い詰める原因になっていた完璧主義を、少しずつやめようとしている。

 

少しくらい手抜きしたからってどうなるわけでもないし、逆に少し人より手間をかけたからってどうなるわけでもなかった。

そんなミリ単位のもの、目に見えるわけがない。

もう過ぎ去ってしまった若い頃を取り戻すことはできないけど、今から先を少しずつ変えていくことはできる。

レンジでチンして料理を作る、この「丁寧な暮らしもどき」でなにが手に入るんだろうか。

わからないけど、きっと今までの私にはないものなんだろうなあと思う。

いろんなものを取りこぼして、足りないことだらけで生きてきたけど、それでも、歳を重ねても、「欲しい」と思ったときに手に入れられるものなのだろうか。

逆に、ずっと執着して、人からあれこれ言われても手放せなくて、どうしても固執してしまったものを、「もういらないな」と感じたときに手放せるものなのだろうか。

わからない。

知らない間に自分の手から離れていった物や気持ちは今までにもあったけど、今「いらないな」と感じているものは、大切にしていたそれらよりももっと大事に私が抱きしめてきたものだ。

しかも、必要ないのに抱きしめてきたものだ。

それなりに執着する理由があるんだろうけど、もういらないものはいらないから、「完璧主義」を天の川にでも流してしまいたいな。

 

人生はかけているものをどこかでなにかで補完しながら繋ぐものだから、私もどこかでなにかで足りないものを継ぎ足さなければならない。

難しく考えるからできなくなるんだと思う。

もっと気を抜いて、流れに身を任せてみるのもいいと思う。

自分の力でどうにかし続ける今までが、少し力が入りすぎた毎日だったのだと思う。

 

「身の丈にあったものを選ぶ」というのは肝心だけど、私は今までずっと、身の丈に合わないものを選び続けてきたんだなと思う。

だから、今の自分のことも、ようやく頭を打って改心する理由ができたな、と感じていて、頭を打ったこと自体には感謝すらある。

心身を壊したことはよくなかったと思うし、後悔ばかりがあるけど、「完璧主義をやめる」という方向にスイッチが入ったことはよかったと思う。

これからも、人も自分も追い詰めながら生きるのは無理があったんじゃないか、苦しかったんじゃないかと常々思っていて、ここで派手に転んでよかったとすら思う。

生きてて意味のないことなんてないとはよく言うけど、もしそれが本当なのだとしたら、そうだったらいいなと心から思う。

人も自分も許せないのは辛い。

その理由が、自分の奥底に染み付いているのが当たり前になっていて、よく見えなかったから余計に辛かった。

でも、派手に転んだら、どうしてそうなったのかわかってきた。

よく見えなかったものが見えてきたら、それの問題点見えてくる。

手放したくなったり、シミ抜きをしたくなる。

 

完璧主義というのは、本人も辛いし、巻き込まれる周りの人も辛い思いをする。

今までは変えられなかったことを変えられるチャンスが巡ってきて、どうするか悩む暇もなく「いや、これもう要らねえわ」と感じた。

私にはもう、完璧でいようとすることは必要ない。

今日も地道にシミ抜きをした。

完璧主義を手放して、次はなにが手に入るのか、私には分からないけど、とりあえず自炊生活は続けるし、完璧にしないことを目標にするし、もう自分にも他人にも完璧は求めない。

 

今回派手に転んで頭を打ったことで、疲れちゃったんだ。

完璧主義は疲れる。

もういい、もうこんなもんいらん。

こんなもん、ただただしんどいだけだ。