揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

近くに行かなくても満たされる

 

 

 

 

最近になって、ライブに行くことも好きだけど、行かなくても大丈夫だなと感じることが増えた。

体調面ももちろんあるけど、それ以上に、私はライブや握手会みたいに近くに行かなくても満たされるタイプなのだと感じるようになった。

近くに行きたい、触れたい、喋りたい、見たい聞きたい、というのは、好きなものや人があれば当たり前の感覚だと思うけど、私はもうそういうのではなくて、近くにいなくても触れられなくても、好きなものや人のことはずっと好きでいるタイプだ。

世間一般的には、好きならライブに行く、会いに行く、みたいな感じだけど、私はそうじゃない。

どんなに離れても手が届かなくても、好きなものは好きだし、その気持ちが薄れたりすることもない。

家でひとりでのんびり楽しむのが性に合っているのかもしれない。

 

こういう性格だからか、恋愛における独占欲みたいなものは昔から持ったことがないし、相手と離れて顔を合わさなくなっても好きな気持ち自体は安定して持てていた。

よく、パートナーが長期不在でさみしくて浮気をした、ということを、仕方がないと捉える人がいるけど、昔から私にはその理屈がさっぱり分からない。

私の中にある愛という感情は、いつも一定に保たれていて、揺れない、乱れない穏やかなものだ。

相手がどんなに遠くに行っても、離れてしまっても、もう二度と会えなくても、別にそれ自体は平気で、自分の中にある愛のコップの水の量が減らないのを眺めているだけの話だ。

 

形はどうであれ、好きな作品のことを私は愛していて、その愛は、近くに行ったり触れたりしなくても保たれる。

現に、もう10年近く前に解散したバンドの音源もずっと大切なままだし、色褪せたりなんかしないまま心に残っている。

よく、「綺麗な花があったとして、それを摘んで自分のものにしたいのが恋、今日も綺麗に咲いてるから明日も綺麗に咲いててほしいなと思うのが愛」というのを聞くけれど、私の恋や愛は一貫して後者で、今の今まで前者のような気持ちを持ったことがない。

四六時中相手のことを考えたり、連絡をとったり、ということをされると重いと感じる性分で、実際に友達関係でも四六時中自分のことを考えられるとげんなりしてしまう。

これは、私が自分について考える時間が人より多いからだと思う。

 

何かや誰かを好きなこと、愛することには穏やかな気持ちしかなくて、きっとみんなが言うような身を焦がして狂いそうになるような恋愛は私にはできないと思う。

私にできることといえば、毎日おいしいご飯を食べてほしいな、今日も元気かな、というようなことを気にかけることくらいで、とてもじゃないけれどこんなことでは身を焦がしたり気が狂うことはない。

世間一般の「これはこうだ」というイメージにとらわれすぎると、自分のいいところが潰れてしまうことがあるんだなあと感じた。

 

ライブに行かなくても私は満たされるし、好きなものを好きな気持ちは変わらない。

ずっと穏やかな気持ちで好きでいられる。

人も同じで、月に何度もランチに行かなくても相手のことは好きだし、その気持ちは変わらない。

 

これまで走り続けてきたのを、少しペースを緩めてみようと思う。

早く答えを出そうとして空回ったり、無理をしたりしてきたけど、本当はそんなことは必要がなかったのかもしれない。

人付き合いや趣味においてもそうで、少しだけペースを落としてゆっくりやりたい。

見られるときに見ておかないと、という気持ちもわかるけど、今はそれよりも、自分のことを第一に考えて大切にしたい。

まず自分のことがどうにかなってないと、なにを受け取ったとしても、救われるものも救われない。

近くに行かなくても遠く離れてもずっと好きだし、余程のことがない限り、私は一回好きになったものや人を嫌いになることはない。

自分が穏やかでいられることを一番大切にしようと思う。