揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

うつの効能

 

 

 

鬱になってしまって丸2年が経った。

丸2年経ったからって治療が終わるわけでもなく、ただただ鬱が治らない日々が続いている。

上司に何度も不調を訴えるも揚げ足を取られ突き放されたことも、その上司が「しんどかったら言ってください」と常々言っていたことも、未だにフラッシュバックするし、そのたびに私の中で恨みとも怒りとも判別がつかない憎悪の塊のような気持ちが沸騰する。

上司や前の職場の人とはこのまま離れて、お互い何をやっているかも知らないような生活を続けるのが一番いいような気がしている。

「子供を産め」と散々言われたことも響いていて、私の中で「みんなのことは好きだけど、もう関われない、関わることができない」という気持ちに落ち着いている。

このまま離れて、お互いがどう生きているか分からないような生活を続けるのが一番いいんだと思う。

前の職場やそこの人たちに思い入れはあったけど、もう離れたほうがいい。

私の事情が知りたいわけでもなさそうだし、これでいいと思う。

 

鬱になってから、ネットでとある女性ミュージシャンを知り、YouTubeでPVを見たりしているうちにハマり、CDを買い、過去作品も買い、SNSをチェックし…というふうに、いつの間にか新しい趣味ができた。

私は女性ミュージシャンだと、鼻にかかったような声の人か、高くて強くて芯のある声が好きなのだけど、新しくハマっている方の声は鼻にかかったような声。

その方以外にも聴きたい音楽があって、まだあれも聴きたいこれも聴いてない、と1人でレンタルショップに行く時期を考えていると、こうやってのめり込める趣味があるから幸せだな〜と思います。

まあ、私の場合は趣味が楽しすぎて他のことに見向きもしないのでよくない部分もあるんですけど。

昔、趣味がないような年配の方にしきりに「きみは幸せだ」と言われたのだけど、その人は心の欠けた部分がどうしても埋まらないらしく、お金はあるのにどこか不幸な空気をまとった老人だった。

自分の心の欠けた部分を埋めてくれるものが、合法で存在するっていうのはとても幸せなことだと思う。

最近はずっと心の欠けた部分について考えていて、それは生きてる限り全員にあるものなんだけど、どうやって埋めるかということと、埋めなくても別に人間としての魅力は損なわれないなということに行き着いた。

常識がない女がいたとして、その破天荒さに惹かれる男性もいるだろうし、逆も然り。

短所の裏返しは長所です。

松葉杖みたいに支えてくれるものが見つかったら幸せなこともあるけど、それがないといけないわけではない。

私はたまたま自分の心に響くものには片っ端から手を出していくタイプだから、追ってるミュージシャンがものすごく多いけど、多分この状態は音楽依存で、私の心の欠けている部分があまりにも大きいからだと思う。

どうにもならない傷口を塞ぎながら使う、ような気分。

 

 

もう今までのことは今までのこと、未来のことは未来のこと、というふうにひとつ線を引いたほうがよさそうで、物にも人にも場所にも強い思い入れはあるけど、もうそれを使うことや知ることで得られるものがなさそうだ。

私はなにか新しいことを始めるタイミングなのかもしれないと思う。

好きだった人たちも、場所も、仕事も、何もかも今の私には合わないような気持ちでいる。

私が年相応に生きなければと思うと苦しくなってしまうような人間だからこうなってしまう、ということについてとても息苦しく感じる。

ルールや常識、年相応という言葉に乗って行ける人たちは偉い。

私はどうもそれが苦手なような気がする。

誰かと恋愛して、結婚して、子供を産んで、ということも、ずっとずっと「今じゃない」という気持ちのままここまで来てしまった。

どこかで何かの波に乗れたら良かったのかもしれないけど、自分の気持ちや心に嘘をついて、自分のペースを乱してまでやることではないと感じた。

誰かに好かれても「今じゃない」と感じるし、私はずっとそういう気持ち。

自分が納得がいくまで、自分の心の穴に向き合って、穴の形や大きさを知って、愛して、許して、それから先に進みたい。

それはそんなにわがままなことでしょうか。

年相応とか、こうあるべきとか、そういう言葉に、自分の気持ちに嘘をついてまで従わなければいけないのか、と毎日疑問に思っている。

私は納得するまで考えて答えを出したいし、分からないことが分かるようになると嬉しい。

今の私には分からないことがたくさんあって、そこが空白のまま次に進むことはできない。

気が済むまで穴埋めがしたいし、恋愛ではなくて、人と人としての関わりを持ちたい。

人間としての思い出がほしいと思っている。

それはそんなにわがままなことなのかな、女性だから、時期が来たら相手を見つけて子供を産まないといけないのかな、と考えている。

私はもともと子供は産めないけど、産めないのに「産みなさい」と突きつけられるとやっぱり考えてしまう。

遺伝があるからほんとに無理だし、できたとしてもおろすけど、産めない私は欠陥品のようなものなのか、ひとりぶんの命の炎を燃やして骨になることはそんなにいけないことなのか、ということを考えている。

 

愛があればなんとでもなるとはよく言うけど、なんともならないこともあって、金も愛もあってもどうにも解決しないことがある。

私の遺伝だってそうだし、他にもたくさん。

いろんな人にいろんな事情がありながら混在していて、その中で私が、ひとりで納得するまで考え事をしたり、花が咲いているのを見ていたり、用水路に住んでいるカメと目を合わせたりするのは、そんなにいけないことなのだろうか。

楽しめる趣味があって、病気になりながらもなんとか見た目を整えて外出したり、服を組み合わせておしゃれをしたり、ご飯を食べたり眠ったりしている。

重い障害を持って働けなくて、もちろん子供も産めなくて、社会から取り残されたような気持ちになるけど、そこまで悪いことはしていないし、人から責められるような生き方もしていない。

健康とか、出産とか、手持ちの使えるカードが人より少なくて、それでいながらも手持ちのカードでなんとかやりくりして日々楽しく生活をしていくことの何が悪いんだろうか。

年相応に生きられないだけで、どうしてそんなにあれこれ責められなければならないのだろうか。

 

 

一生治らない病気とこれからも付き合っていく。

私のことだから真剣に、誠実に向き合い続ける。

私のやりかたで正解にしていく。

それの何が悪いんだろう、と毎日、散歩をしながら考えている。