揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

筋トレしなさいオバケ

 

 

 

私はよく「運動してね」「筋肉つけてね」と言われる。

運動神経はかなり悪い。

逆上がりも人生で一回もできたことがないし、前転後転が歪む、スケート靴で立てないレベル。

それなのに持久力だけはものすごくあるので、小学生の頃は1、2学期の体育でポンコツぶりを発揮し、3学期のマラソンでいきなり大変いい成績をおさめ、「どうしてあなたがマラソンできるの?」とか言われるような子供だった。

今でも長距離の散歩はかなり好きで、よく遠くまで歩いていく。

 

病気をして、10代で医者からダイエット禁止令が出たし、投薬治療の関係で激しい運動も禁止になった。

だから私は体を作る10代の成長期に、ほとんど運動ができなかった。

それは病気を患ったからで、私が好きで運動を避けてきたわけではない。

未だに投薬治療は続いているから、大好きだったマラソンもできない。

私にできることといえばせいぜい散歩をすることくらいなのだけど、そうなってくると、私を慢性的な運動不足だと解釈して「筋肉つけてね」「運動してね」とアドバイスしてくる友達もいる。

その都度事情を説明するのも面倒なので受け流しているけど、ほんとうに、余計なお世話だなと感じる。

 

まず病人に運動を勧めること自体が常識的ではない。

ガンになった人や脳梗塞になった人、心臓病の人がいたとして、運動を勧めるのは非常識だと一目でわかる。

でも、精神疾患にその常識が適用されている人が少ないと思う。

それどころか、「運動不足で太っている」と見た目だけで決めつけ、ジムに行こうだの運動しろだのと上から目線でのアドバイスを受けることが多い。

精神疾患の薬の副作用には太りやすい体質になるというものがあるし、体重が増えてはじめて薬の作用に体が耐えられるようなものなのに。

私も一時期かなり太ったけど、薬を減らしたら、何もしていないのに1年かけて10キロ痩せたことがある。

全部薬の副作用なのに、普通の人ってのは普通ではない人にいちいち厳しいんだね。ケッ。(ポッケに手を突っ込んでガニ股で唾を吐く)

 

筋トレがいかに大事か、運動がいかに大切かを説く人はたくさんいて、私もそれには異論はない。

でもそれは、土台として健康な心身があればの話。

心と体のどちらかでも両方でもダメージを受けている人が運動を勧められるのは、見ていて気分が良くない。

いろんな事情があって、運動ができない人がいる。

きっと普通の人ってのは、そこらへんのことに目を向けることもないくらい、向き合うこともないくらい、普通に運動ができるんだろうなと思う。

羨ましい反面、病人に軽々しく運動を勧める非常識な人間にだけはなりたくない。

筋トレしなさいオバケは厄介だ。

私だって、拒食症になる性格をしてるからダイエット禁止なんてことにならなかったらランニングをしたかった。

走ること自体がすごく好きだから、未だに走れる自分に戻りたいと思っている。

けどもう無理そうで、薬は一生飲むし、病気は一生治らない。

ダイエットや激しい運動とは無縁の人生を送るしかない。

医者が言うから従うしかない。

 

老後寝たきりになるよ、とよく言われるけど、こちとらうつ病こじらせて20代でも寝たきりになったし、いろいろともう、私の心配なんかしてないで自分の人生の心配をしてほしい。

長く付き合ってきた友人ではあるけど、無理のコップが溢れている。

これ以上何か言われたらいろんなものが吹き出して、怒鳴り散らしてしまう可能性がある。

人には人の事情があって、当たり前のことができないだけなんだけど、多分彼女はそういうことができない人がいるということなんて知らない世界で生きて死ぬんだろうなと思う。

私は全然別の世界にいるので、話が噛み合わなくて困ることが多々ある。

住んでいる世界が違うのかもしれない。

 

自分ができて当たり前のことを人に強いる時点で傲慢に感じてしまうし、最初から履いている下駄の高さに気づかないまま、下駄を履けなかった人にその高さ分のことを軽々しく求めるなんて、私は絶対そんな人間になりたくない。

自分が履かせてもらっている下駄の高さに気付けないなんてもうファッキン。

説明しても理解できないならお互いのためにgood-byするしかない。

お互いの人生を分かり合えないまま一緒にいることは不可能だし、私の歩く速さすら気に食わない人と一緒にいるのは無理がある。

無理だから離れる、これはほんとうにシンプルな選択肢で、「この人にいくら説明しても伝わらない、まるで異言語の国の人と話しているみたいだ」と感じてしまって、「あなたはそっちの世界で幸せになってね」という意味も込めて離れる。

言葉が通じない、説明しても聞き入れない人間と一緒にいる意味がわからない。

関わるだけ時間とお金の無駄だと思う。

 

人の姿形や上澄みだけを見るのではなくて、「自分は知らないだけでこの人もいろいろあるんだろうなあ」と思える人間でありたいですね。

履いてる下駄が高い人もそれはそれでいろいろあるんだろうけど、下駄履けない人に上から目線であれやこれや言ってる時点で普通に無理です。

それでいて「私にも事情がある」とか言うならおこがましい。

相手の事情を想像しないのに、どうして自分の事情だけ配慮されて当たり前の構図が出来上がってしまうのか私は昔から疑問だ。

自分のことを分かってもらいたい、自分にも事情がある、と同じくらいの重さのものを目の前の人も抱えているのに、そこを無視していろんなことを進めようとするのはどうかと思う。

ほんとうにおこがましい。

 

 

この世の全ての人間ができて当たり前のことなんて存在しないのにね。

ファッ   ク