揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

コダックと物体

 

 

 

 

 

ポケモンGOの性格診断をやってみたら、診断結果がコダックだった。

最近、私は自分で思っているよりもずっとおっちょこちょいで、抜けていて、アホの子なんだろうなと思うことがよくある。

昔はそういうことがあるとムカついていたけど、今はもう「ほら見ろ」というような感じ。

「だと思ったよ」とも言えるような。

 

前の会社では、「おっちょこちょい」「アホの子」と言われることがあって、意味が分からなかったけど、今なら分かる。

分かるというか。そんなにしっかりしてないんだよ。

ハニホーの性格診断では「カラーひよこタイプ」だったし、私は自分で思っているよりずっとゆるい性格をしている。

ゆるいというかなんというか。

自分で考えている自分の性格とは真逆の人間だったことが、30年弱の時間をかけてようやく解明された。

正直、これでだいぶ生きづらさは緩和されたように思う。

 

どうしてそんなに大きな認識の誤差が生まれてしまったのかというと、幼少期の育成環境がよくなかったことにたどり着く。

なんかもう、自分の悪い部分に目を向けると確実に「幼少期の育成環境」「幼少期の親との関係」とかにたどり着くので、できるだけ考えたくない。

選べるもんならこんなとこに生まれてきてないというのが本音。

三つ子の魂百までとは言うけど、三十までで済んでよかったと思う。

ここからは自分のことは「コダックの擬人化」だと思って生活することにする。

実際に、まだポケモンGOの性格診断をやっていないときに、ハニホーの性格診断の結果に従って自分のことをカラーひよこだと思って生活するととても気が楽になったし、大小さまざまなミスをしても「まあ、カラーひよこだし」となんとなく許せる部分が出てきた。

自分に対する過度な完璧主義への諦めとして「コダック」「カラーひよこ」は積極的に使っていこうと思う。

 

自分が思っている自分像がぶっ壊れて、再建している途中なのだけども、ぶっ壊れた直後はショックもあったけど、時が経つにつれて「まだ取り返しがつくときに気づけてよかった」と思う。

もう取り返せないこともたくさんあるけど、それは仕方がなくて、たぶんこれから取り返せるもののほうが多いと思う。

この先どうなるかは分からないけど、自分の手のひらのサイズに合うものが手に入るといいなと思っている。

 

ここにたどり着くために2年前の過労自殺があったのかと思うと、どんだけ頭を打たないと気づかないんだよと呆れる部分もあるけど、これでよかったんだと感じる。

頭を打っても軌道修正ができない人もいるし。

私はこれでよかったんだろうな、こうなるのは必然だったような気がするとさえ思う。

大幅な軌道修正をすることになって、先行きが全く分からなくなったことで、全然やったことがないことに取り組む可能性もあるし、人生何があるか分からん感がとても面白い。

まあ、今後どうなったとしても、学生の時と比べたら100000000倍マシなので文句は言えません。

学校に通うよりずっとずっとマシだと思う。

今でも、朝起きて寝ぼけながら「今日学校じゃない?」と思うことがあって、その度に「いや、大人だから学校行かなくてもいいんだよ、学校はないよ」と、もう学校に行かなくていいことを思い出すのだけど、この時ほど歳をとってよかったと感じることはない。

もう学校に行かなくていいだけで私の人生は素晴らしいし幸せだと感じる。

学校というものから離れて、もう二度と通わなくていいという歳になって、改めて学校が合わなかったと感じるし、合わないところに無理やり合わせてたらそりゃ病気にもなるよねという気持ち。

遠く離れてみて初めて「本当に嫌いだなぁ」としみじみ思う。

 

今はもう「社会保険に入って働くべきだ」ともあまり思い詰めていなくて、体が壊れない程度の仕事にどこかで巡り会えたらそれでいいと思う。

やりがいも大切だけど、案外どんなことにもやりがいって感じられると思い始めている。

部屋の掃除をしただけでもやりがいは感じられるし、生卵を茹でてゆで卵にして殻を剥いただけでも達成感はある。

そういう足元にあることに目を向けはじめたら、「案外私はいろんなことにやりがいを感じられるから、どこでどんなふうに働いててもやりがいを見つけられるな」というふうに思考が変わってきた。

等身大の自分、とはよく言うけど、意外と大切だよなあと思う。

 

これ以上にも以下にもなれない、私は私であることからは逃げられない。

コダックだし、カラーひよこでもある。

逃げられないから抱きしめる。

大きさがわかってきたら頭を撫でる。

過剰なほどに大きく膨れ上がった物体を撫で続けると、浮き輪から空気が抜けるように、物体の中にある「なにか」が漏れ出す。

「なにか」はいらない。

抱きしめて撫でれば撫でるほど物体からは「なにか」が抜け、物体は小さくなる。

「おや、こんなに小さくなった。

ちょうどいい大きさじゃないか。

このくらいがちょうどいいよ。

さて、あなたにぴったりの服や靴を買いに行かないとね…

出かけましょう!」

すっかり小さくなった物体を連れて出かける。

物体はぴょこぴょこ嬉しそう。

 

かつての般若の顔をして、パンパンに膨れ上がった物体の姿はもうありません。

余分な「なにか」がすっかり抜けた物体は

穏やかな顔をして、ちょっと小柄になりました。

 

物体は思ったよりもずっと恥ずかしがり屋さんです。

大きな声が出ません。

それでも物体が愛おしいのです。

「無理をして、大きな声を出さなくてもいいよ。

また、膨れ上がったらたいへんだ。」

 

さて、物体とは一体何のことでしょう。

それは私にもわかりません。

でも、誰しもの心の底のほうにあります。

 

私の心の中にいた物体は、今はとても元気です。

私は物体とうまく付き合っていくために、これからもなんとかできるように努力していくつもりです。

心の中のぐにゃぐにゃした形のないものを扱うときには、どうしてこんなにややこしくて時間がかかるのでしょうね。

それでも、ほんとうに大切なものは目には見えないらしいですよ。

星の王子さまでキツネが言ってました。

 

だから私の物体も、ほんとうに大切なものなのでしょうね。