揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

よっぽどのことがない限り

 

 

 

 

最近、1年以上前に買って一度読んだきりだった「認知行動療法」の本をまた読んだ。

私は心の歪みのようなものが酷く、それによってうまくいかないことが多発し、もう目をそらすことができないところまで来てしまっている。

このまま前に進んだとしてもいい結果は出しづらいし、生きること自体に難しさを感じたり、生きづらさのようなものを抱え続けることになりそうだ。

なにより、もう逃げ場がない。

自分の至らないところや心の歪みに目を向けて、改善や修復をしなければ、先に進むこと自体が困難だということが明確に分かってしまっている。

だからもう、やるしかなくて、そういう本を読んでいる。

 

本を読んでいくと、「よっぽどのことがない限り、人はあなたを見捨てません」と書いてあった。

私はこの言葉を読んで、過去に私が手を離してきた人たちを思い出した。

なぜ過去に様々な人たちから手を離してきたかというと、「手に負えないから」というのが一番の理由だった。

借金を打ち明けてきた人、弟の障害を打ち明けてきた人、いきなりLINEで何十枚も画像を送りつけてくるジャニオタ、部屋の片付けの実況中継をする人、2000円のチケット代を「手持ちがないから払っといて〜」と軽く言う人、遅刻癖があって一時間は平気で遅刻する人、虚言癖がある人、知ったかぶりがやめられない人、国保未納、常に人を見下すことでしか自尊心を高められない人、若手芸人とのつながりを自慢する人。

いろんな人から手を離してきた。

手に負えないと思った理由の一つに、「私が幸せになったことを祝福できない人だった」というものがある。

「一緒に不幸でいるのが友達」だと勘違いしているとも言える。

だから逃げた。

これは、本に書いてある「よっぽどのこと」に該当するのだろうか。

 

正直、「よっぽどのことがない限り、人は人を見捨てない」というのは事実だと思う。

私が迷惑をかけたと思っていても、「迷惑をかけられていません」と言われることもある。

私は手を離してきた人たちをどう思っていたのだろうか。

迷惑だとは思っていなかったけど、手に負えないとは思っていた。

この、迷惑と手に負えないの違いはなんなのだろうか。

 

私には手に負えないのだから、別の場所で別の人と幸せになってくれたらそれでいいと思っている。

それでも縋り付かれる、それも振り払って逃げた。

歪な私のことを好いてくれる人は大切にしたい。

したいけど、手に負えない。

「幸せにならないでほしい」「自分と同じように不幸でいてほしい」という相手からの無言の圧力に耐えられなかった。

「私たちは不幸だね」と言い合う関係と「お互い色々あるけど頑張ろうね」と言い合う関係は、似ているようで全然違う。

前者はどちらかが幸せになると相手が不機嫌になり、後者はお互いが幸せになることを望んでいる。

私は前者の関係を振り払ってきている。

なんだかんだで、私は昔から、幸せになりたかったのかもしれない。

 

私の欲しい幸せの形はまだよく分からないけど、とりあえずの目標としては「自分を大切にできるようになること」「心の歪みを修復すること」「人間生活をすること」の3つ。

これが整って初めて先に進めるような気がしている。

国語、算数、理科、社会、と基本的な勉強があるけど、私はもっと根本の「人間生活」が身についていない。

まず、そこからスタートだ。

性が絡まなくても私は愛されるし、頑張りすぎなくても生きていていい。

そういうことが身についていないから、自殺してまで働いてしまう。

よく街中で赤ちゃんを見かけるけど、赤ちゃんは何の役にも立っていないしお金も稼げないけど、大事な人間として育てられている。

私にもこういう時期があったのだろうかと思うと疑問だ。

そうして遠目に赤ちゃんを眺め、考え、思った以上に自分に無価値だというシールを貼っていることに気づき、慌てて剥がすような毎日を送っている。

 

ずっと幼い頃から、頑張らないと誰からも愛されないと感じて育ってきている。

その気持ちが根を張り、大きく葉や実をつけてしまっているのが今の私で、その葉や実は毒とあまり変わらない。

自分自身の根幹の考え方が歪みきってしまっている。

どのくらい時間がかかるのかは分からないけど、その大きな木の葉や実を取り除いて、最終的には根を張った大樹自体を伐採しなければ、この人生を良い方向に舵取りできないと感じている。

というか、もう私の人生は自殺も2回やっているし、この問題からは逃げてはいけない。

逃げられないと強く感じる。

 

よっぽどのことがない限り、人は人を見捨てない。

分かってはいるけど、どこかでまだその言葉を信じられないでいる。

この気持ちがこの先どう変わるのかは、私次第でもある。

できるだけのことはやる。

やってだめなら諦めがつくだろうし。

 

私はできるだけ、人からの好意を大切にしたい。

よっぽどのことがあって振り払ってしまうこともあったけど、これからは好いてくれる人は大切にしようと思う。

私も好きな人を大切にしよう。

自分のことも好きでいよう。