揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

願い

 

 

 

 

「普通に恋愛して結婚して子供を産んで幸せになってほしい」と知人男性から言われたので「子供は病気で産めない、病気だから毎日の生活で手一杯で恋愛どころではない」と本当のことを伝えたら、それ以降ぱったりと連絡がなくなった。

 

普通にできない人はだいたい普通にできない理由を抱えている。

それは個人の生い立ちや育ち、性格や人格にも関わることなので、容易く否定をしたり普通を押し付けたりするのはよくない。

幸せになってほしいと思ってもらえること自体は光栄だけど、その形までひとつひとつ決められてしまうと困る。

私はどうやってもはみ出してしまう。

 

こうやって好きだった人をどんどん嫌いになる。

結局「普通」かよ。

どう足掻いても「普通」にできない人間の気持ちは踏みにじっていいと思ってるのかと思うとげんなりする。

そもそも個人個人で普通の感覚も違うのに、世間一般から見た普通をこなさないと一人前とされず、その大多数が入れるはずの枠組みから振り落とされたりはみ出たりした人に対して「どうにか普通に更生させないといけない」という謎の使命感には寒気を感じる。

少しでも普通の枠からはみ出たら許されないなら、存在そのものが普通ではない私は舌を噛み切って死ねばいいのかと考える。

相模原の障害者施設の殺傷事件で犯人が「障害者はいらない」というようなことを言っていたようだけど、「普通になりなさい」という圧は、なんとなくあれの簡易版のようなものに感じてしまう。

 

普通の幸せは尊い

尊いからこそ、誰でも手に入るという前提で話を進めてはいけないと思う。

もがいてもがいて、泥まみれになって足掻いても、普通の幸せが手に入らない人もいる。

もがいたり足掻いたりする以前の問題の人もいる。

いろんな人がいて、いろんな人生があって、正解なんかないし不正解もない。

私は私の正解だと思う道を歩いていくしかなくて、その延長線上に確実に子供の姿はない。

どう足掻いても遺伝子から自分を変えることはできない。

 

自分の思う普通で生きていけばいいんですよ。

で、胸張って「私は普通です」って言っていればいい。

「普通に幸せなんです」って言えばいい。

同情するなら金をくれ。

 

私は今の自分のことを「普通に幸せ」だと思っている。

だからこそ「結婚し子供を産み普通に幸せになってほしい」という言葉に腹が立ったのかもしれない。

子供を産むことは私の中では普通のことではない。

私にとっては「できないこと」だ。

だから容易く言ってほしくない。

 

何かが欠けた人生を自分のペースで楽しく生きているだけでこんなに人から傷つく言葉を何気なく言われるなんて想像もしていなかった、キャンタマ煮卵にしたろうか。おら。あぁ?

まあでも、相手にも悪気は1ミリもないんだ。

誰も悪くないし、私も悪くない。

腹が立ったり嫌な思いをしても、墨を水で薄めるかのようにしてどうにかその気持ちを薄く薄くして生活することしかできない。

私は多趣味だから1人で楽しめるものがたくさんあるし、現に今も退屈はしていない。

楽しいことは山ほどある。

嬉しいこともたくさんある。

周りの人たちから思われているほど不幸ではないし、可哀想な人でもない。

何かが欠けた人生も、それはそれで救済措置のようなものがあるし、なかなか楽しいと思う。

 

病気になったり、他にもいろんなことがあったけど、それはそれでよかったと思うことがある。

ここまでなんとか生きてきたし、これからもなんとか生きていけばいい。

 

どうか私のことを可哀想だとか思わないでほしいということと、自分たちが得ている普通の幸せを誰もが持てる普通ではなく尊いものだと自覚してほしいというのが、今の私の願いだなと感じる。