揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

酒を飲まない

 

 

 

お酒が飲めなくなってからは主にノンカフェインのお茶を飲んでいる。

カフェイン過敏も併発したのでお酒もカフェインも断った。

最初は、烏龍茶も緑茶も飲めなくなって「つまらねえ…」と項垂れていたけれど、ノンカフェインのお茶を飲むことも意外と面白い。

今飲んでいるのはルイボスティー杜仲茶

もう5年くらいルイボスティーを飲んでいて、最近杜仲茶を買って飲んでみた。

日々死にたいだの生きたくないだのと言うわりに健康意識が高い。

高くしたくないけど高くなってしまっている。

もう体が無理を受け入れてくれない。

酒もタバコもカフェインも、もう私の体に入っても異常反応を起こすだけで、それは楽しくもなんともなくただただ苦しくてつらい。

体に合わないものを避けて生きているだけで無駄に健康意識が高くなってしまうのは、死にたいと思い続ける自分の心に反している。

このままだと確実に健康に長生きをしてしまう。

だけどもう無理をする気力もないし、体が壊れて動かなくなって病院のベッドで過ごすようになったらそれこそ取り返しがつかない。

周りの人も、介護だのなんだのとなったら迷惑極まりないだろう。

 

死にたいと思いながら杜仲茶を飲む。

杜仲茶は昔健康茶として大流行したこともある体にいいお茶。

これでは死ねない。

杜仲茶なんか飲んでたら死ねないのに死にたいと思う。

自分の意に反して体が健康に生きようとする。

 

杜仲茶は私好みの味で、若干苦味がある。

私は煮出しすぎて苦味が出たような味のお茶が好きで、家でお茶を作る時も苦味が出るとうまくいったと感じる。

おいしいから飲む、飲んだら健やかに生きる。

最近、「死にたいのは治らないだろうけどもう死ぬことに執着するのを諦めようか」と思っている。

「人は意外と野垂死ねない」とマツコデラックスが言っていたけど、ほんとうにそうだ。

現代医学は発達しているし、蘇生技術みたいなものも日々進歩しているのだろう。

運なのかなんなのかは分からないけど、私は死なない。

無駄に死ねないように作ってあるし、体が壊れる手前でエラーを出してくれる。

完全に壊れることも壊すこともできない。

追い詰められたら自殺はする、それも性格だから仕方がないと思う。

でも日常は至って普通で、不幸でもなんでもなく普通に幸せな生活をさせてもらっていて、杜仲茶を沸かして飲んで。

そういうふうにしか生きられないのだと思う。

 

もう余程のことがない限り自殺をすることはない。

歳とともに若さ故の勢いみたいなものが衰えて、破滅したいとか、自分のことが嫌いで憎いとか、終わりのない恨み辛みや憎悪とか、自己嫌悪とか、自分の心の周りを呪いの儀式のようにぐるぐる回って呪文を唱えていたものたちにも疲れが見えてきている。

他人の許せないところとか、自分の許せないところ、なんとなく悪口を言うことも誰かや自分を卑下することにも疲れてきた。

どういう人間であっても、本人がそれを望んでいるならそれが真実だし、どんなに正しいことでも本人が嫌がるならそれはその人にとって正しいことではない。

未来は決まってないし逃げられない過去はいつでもついてくるけど、目の前に楽しいことがあったらそれにつられて自分も楽しくなることは悪いことではなくて、それを機に自分の問題に目を向けることもある。

 

 

私は幼い頃から、感受性みたいなものが人より強かったのかもしれない。

2歳になって両親と離れて暮らしたのを機に「生まれてこなければよかった」「私はいらない子なんだ」「頑張らないと愛されない」「いい子にしていないといけない」と思い込んで、出来る限りの無理をした。

出来る限りの無理がたたって障害を負ってしまって、普通に生きること、暮らすことはできなくなってしまった。

それでもまだ無理を重ねた。

若さゆえに考えすぎてしまうこと、無駄にパワーがあることも一因となった。

いろいろあってここまで生き延びて、立ち止まってみた時に「そんなに悪くない」ということに気がついた。

今の自分も、生活も、環境も。

全てが自分が思っているよりもずっと状態がいい。

なんの不満も出てこない。

 

毎日たらふくお寿司が食べられるわけでもなければ宝くじが当たったわけでもないけど、私にしては上出来な状態を作れたと思う。

何事も悪くない。

悪くないというか、良いことの方が多いかもしれない。

過去の自分に花束を供えて、次の目標を見つけてもいいのかもしれないと思えた。

 

今の自分が出来上がるために過去も必要だったかと言われたら全くその通りで、過去がなかったら今の「そんなに悪くない自分」はいなかっただろう。

無駄なことはなにひとつなかったように思うし、これはこれでよかったと思う。

穴ぼこだらけの壁はアーティスティックで、それはそれで素敵だと思う。

ただの白い壁にはない魅力がある。

 

存在自体を許されなかったように感じた昔の自分にお供えするための創作活動をやろうと思っている。

自己満足にしかならないけど、大丈夫だということを昔の自分に伝えたい。

ここで一旦死にたい私はおしまい。

明日からはまたなにか、死にたくない私の物語の始まりにして、どうにか自殺だけは避けて、未完成でも足りなくてもいいから生きてほしいと思う。