揺れるように

ソロ活動の記録とひとりごと

埋まらなかったもの

 

 

 

 

長いことなにか目に見えないものに苦しめられてきた。

それがなんなのかは分からない。

ただ、ずっと心のどこかに穴が開いて、風が吹いて痛い。

穴が開いているなら埋めればいいと思い、私は買い物をしたり旅に出たり友達と遊んだりした。

お金を使っても埋まらない。

人と会っても埋まらない。

穴は日に日に大きくなるような気がした。

 

2年前、仕事で無理をしすぎて抑うつ状態になり、休職したのち退職した。

そこから人生の方向をガラッと変えたように思う。

心の穴を埋める作業ではなく、自分の日々の生活に目を向けた。

日々の生活はとてもひどいものだったし、私自身の身なりや服装もひどく汚らしいものだった。

抑うつで体が動かなくなったのを機に、外に出ることや人に会うことをやめた。

まず自分の生活を満たして、それから外部に目を向けようと思った。

今は、旅に出たり友達を作っても埋まらなかった心の穴が、嘘みたいに少しずつ小さくなっているのを感じている。

穴を埋めようとしない、満たそうとするとはこのことか、と体感している。

 

私に必要だったのは、旅先で友達と合流して趣味を楽しむことや、買い物をすることではなく、日常の生活を満足いくものにすることだったのだ。

幸せの青い鳥は家の中にいた、というお話があるけれど、まさにそんな感じ。

10年近く悩んできたことがやっと今終わりを迎えようとしている。

派手に転んでみるものだな。

 

抑うつになったことで最初は自分や家族、関わってくれた他人のことも責めてしまっていた。

特に自分に対する当たりは酷く、毎日死ぬことを考えたし、未だに生まれてこなければよかったと不意にこぼれてくることもある。

それでも、私は今の自分を見ていると「このタイミングで抑うつになってよかったかもしれない」と思う。

あのまま他人や会社、趣味の世界やお金で解決することに救いを求め続けることは、一歩間違えれば破滅につながっていただろう。

最初のボタンの掛け違えから次々とうまくいかないことが起こることがあるけど、そもそも一番最初の出発点から間違えていた「自分の人生のボタンの掛け違え」に気付けたのは、体が動かなくなってからだった。

体が動かないから身の回りのことだけやるとか、旅に出るのを諦めるとか、お金を貯めるとか、自炊をするとか、自分に合った身だしなみを身につけるとか、そういう日常を潤していったら心に開いていた大きな穴は少しずつ塞がり始めたし、自分も他人も過度に責めることはなくなった。

他人に対しても自分に対しても「こんなもんでいいか」と妥協ができるようになったし、破滅していく人と仲良くなった時に必ず嫌になって離れていたのに「近くにいながらただ見守る」という選択肢ができた。

今の私には手の届かないキラキラした世界ではなくて、自分の手の届く範囲のことをしっかりやることがお似合いだ。

ずっと手に入れたかったものがなんなのかは分からないままたくさん旅行に行ったり買い物をしたけど、私が本当に手に入れたかったものはありふれた日常だったのだ。

朝起きて夜寝る。

スキンケアをする。

自炊をする。

散歩をしたり、季節ごとに変わる木々や花を見る。

何もできない無力な自分を受け入れる。

 

先日、二十歳の時の振袖の写真を見たのだけど、今とはまるで顔つきが違う自分がいて驚いた。

とてもきつい顔つきをしていた。

今はそんなことはない。

これでよかったと心から思う。

 

今はもう、人と比べることも、何かや誰かを悪くいうことも、自分を卑下することも、心に開いた穴を埋めようとすることもない。

酒もタバコもやらない。カフェインもやらない。

二十歳の時の私が思っていたつまらない女になった三十路間近の私は、二十歳の私よりずっと綺麗だし、なにより心が穏やかだ。

もうこれ以上望むこともない(けど体を壊さない程度の仕事は欲しい)。

高望みをしなくなったこと、理想と現実のギャップを埋めようとしなくなったことで、精神的には随分と落ち着いた。

誰かより上でなくてもいい、むしろ下でもいい。

生きてるだけで意外と面白いことがある。

足元にある幸せや、今手の中にある幸せに気づいてよかったと思う。

探していたものはここにあったんだ。